ウワサ話し

お墓は本当に要らないものですか

「暑さ寒さも彼岸まで」というとおり、お彼岸に入ったら、とたんに風が爽やかな秋の風に変わりました。

ほんの5日前、お墓参りに行った時は、あれほど暑かったというのに、翌日からはもう急に涼しくなっちゃってさ、汗だくになってお掃除したってのに、もう何だったのよぅって感じです(笑)

この2〜3日は、朝目覚めた時の陽ざしも、夕暮れ時の空の色も、すっかりと様子が変わっていて、今年の夏が去ったことを教えてくれます。

昨日の日曜日は、チワワのうきわと一緒にドッグスクールに行きました。

福岡は、とてもお天気の良い日曜日でしたから、涼しくなったと言いつつも、さすがに暑くて、しばらくしたら頭痛がしてきてしまって、うきわには気の毒だけど、いつもよりも少し早めに切りあげて帰宅しました。

大事なメダカのお世話もあるしね(笑)

でも、スクールのグランドの木陰の場所にいると、時折、とても涼やかな風が吹き抜けていって、その時、ふと、

「風立ちぬ、いざ生きめやも」

という言葉が浮かびました。

堀辰雄の小説、「風立ちぬ」を読んだのは、私が12、3才の頃で、その時期は、私がちょうど川端康成とか太宰治などを読み始めた頃でもありました。

「風立ちぬ」は、主人公が、重い病の婚約者に付き添い、限られた2人の時間を過ごすなかで、生きることと幸福の意味に向き合うというお話しです。

子供だった私には、少し難しかった記憶があるけど、本のタイトルの「風立ちぬ」という言葉が、とても心に残っていました。

大人になってから知ったのですが、有名な「風立ちぬ いざ生きめやも」という言葉は、ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の中の一説なのだそう。

一陣の風が立つ さあ、生きることに挑もう

風立ちぬ いざ生きめやも とは、そんな意味だと思います。 なんだか素敵な言葉です。

少女だった時代から、もう、ずいぶんと長い時間が経ってしまったけれど、今でも、さ〜っと気持ち良い風が吹き抜けた瞬間、いつも「風立ちぬ・・・」という言葉が浮かびます。

「すずめ百まで踊り忘れず」

というけれど、小さな頃の柔らかな頭に入れた言葉って、大人になってもずっと残るものなのだなあと思います。

だからこそ、子供の頃には良い言葉や美しいものを見聞きして、心の豊かさを育んでゆく必要があるのだろうなと、なんだか少し、真面目なことを考えたりなんかして。

う〜む、秋なんですねえ(笑)

「海辺の墓地」といえば・・・亡くなった、私の母方の祖父母たちが眠っているのは、鎌倉の海辺の墓地です。 

太平洋が見える美しい景色の霊園で、福岡の自宅からは遠過ぎて、しょっちゅう行けないことが残念になるほどに、素敵なところにあるんです。

鎌倉に比べれば、我が家のお墓は福岡市内にあるので、都市高速を飛ばしていく距離ではあるにしても、ずいぶん自宅からは近くです。

綺麗な霊園ですし、もっと頻繁に行っても良いんだけどな、と思いながらも、お彼岸や、お盆、お正月を迎える前だけしか行けてない。  

言い訳なんだけど、日々、雑用に追われて過ごしていると、どうしてもこういう場所には、いくべき時のタイミングでしか行けないんですよね。 例えば先日のように、「お彼岸だ、お墓に行かなくちゃ」って感じ。

何かの折に、「そうだ、おばあちゃんにご挨拶に行こう」って、ふらっと行けたりすることに、私はちょっと憧れてたりするんです。

だけど最近の私は、以前にもまして、一緒に住んでいる家族を優先した日常を送っていて、例えばふらりと近所のカフェに立ち寄るとか、そんなちょっとした自分のための時間を作ることを、諦めてしまっている気がします。

だから、先日のように、1人で黙々とお墓をお掃除して、帰りにテイクアウトしたTULLY’sのラテを飲みながら、渋滞中の都市高速で、大好きな音楽を聴いた時間は、なんだかたまらなく贅沢で、ちょっと幸せなひとときだったんです。

ところで、世間には「遺された人に迷惑をかけたくないから」という理由で、「お墓は要らない」という方が結構いらっしゃるような気がします。

私の周りでも、私と変わらないくらいの年齢の人から、とても気軽な感じに「自分が死んだ後には墓なんて要らな〜い(笑)」なんて言うのを耳にすることがあるんですよね。

おそらくなんだけど、それって「骨はどこかに撒いてほしい」という意味だったり、「お墓ってとても高いものだから、そんなの勿体無いでしょ、だから別に要らないでしょ?」という意味だったりするんだと思うけど。

そんなことを言う方に限って、いつか迎える命の終わりということ自体が、ご自分にとってものすごく「非現実的」なことなんだろうという気がします。 

きっとあまりに遠い話で、深刻に捉えていないんだろうなと思うんです。

決してそれをとやかく言うつもりなんてないんですよ。 今を元気で暮らせているならば、元気を存分に満喫することも大切です。 

それに、埋葬についての倫理的な観念や、成仏するとかいった宗教的な観念について、ここで語りたいわけではないのです。

ただ、将来的に、本当に自分のお墓は必要ないと思っていて、ご自分が入る予定の、お家の代々のお墓がない方ならば、「墓は要らない」ではなく、要らないのならばどうして欲しいかの意思を、きちんとしておいた方がいい。

なぜなら、「親父が生前、墓は要らないと言っていたから」という理由で、ご自宅のタンスの上に、10年以上もご遺骨を置いたままにしている方を、私は知っているからなんです。

そのかたのお父様は、生前「オレが死んだら墓は要らない」と、さんざんおっしゃっていたのでしょうね。 

ですけど当然ですが、火葬の後には、ご遺骨は残されたご家族の手元に残るわけです。 その方にしてみたら、本気で「さあ、これどうしようか、困ったな。」 という状態になってしまい、とりあえず、タンスの上に置いたみたいなんです。

よそのお家のことながら、この先、そのタンスの上に、次に他界された方の骨壷が次々と並んでいく様が勝手に思い浮かんでしまい(不謹慎ですよね、ごめんなさい)、私はちょっと怖くなってしまいました。

なので、お墓は要らないという考えの方は、「ならば、どうするのか」、ということまできちんと意思表示をしておくことが、思いのほか大事なことであるような気がします。

でないと、遺されたご家族は、とても困ってしまいますよね。

そして、お墓の存在が、「後の家族に迷惑をかける」という理由であれば、少なくとも私は、自分が先祖のお墓に参ることに、何の迷惑さも感じていないのですよ。

だから必ずしも、お墓を負担に思う人ばかりではないということも、そういうふうに考えている方には知っておいて欲しいなと思うんです。

それはもしかすると、私に子供がいないから、かもしれません。 現実、我が子に負担をかけるということはないのですもの。

でも、少なくとも私は、我が家のお墓に参ったときにはいつも、心休まる気がします。

祖母が生きているうちに、もっと会っておけばよかったな、いろんな話を聞きたかったな。 いつもそう思います。

「お墓参りに行った、良かった。」 年に何度かだけなんだけど、お墓を掃除しにいくたび、そう思えることに、感謝しています。

最近髪色を、少し明るめにしました。 美容院に行く時間を捻出するのって、結構大変ですよね。

うきわは黒髪が自慢よ🎵 (うきわ)

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