巷を騒がせている、国分さんの起こした重大なコンプライアンス違反。 セクハラだ、パワハラだ、いやいや両方だ、などと、相変わらずいろんな情報が飛びかっています。
今回、日テレさんの対応が、驚くほどスピーディーだったのは、フジテレビさんが人気タレントを最優先で守ったことで、世間から大ひんしゅくをかってしまったことを教訓にした、ということなのでしょう。
ただ、それで社員さんは守られたかもしれないけど、福島県の関係者の方は?と思うと、とんだとばっちりじゃないのと、なんだかお気の毒な気がします。
国分さんにしても、中居さんのことにしても、しみじみ思うのが、「成功」と「満足」と「幸せ」の3つって、必ずしもイコールで繋がっているわけではないのね、ということです。
人は本当に満たされているとき、他者にも自然と優しくなれるものだと私は思っているので、支配的な行動や言動を取ってしまう人は、自分の中に「満たされない何か」を抱えているのかも・・・と、感じてしまうんです。
そういえば、中居さんがトラブルの翌日に、被害者女性に送ったとされる、メールの一文を目にして驚きました。
『楽しかったです。早いうちにふつうのやつね。早く会おうね!』だって。
「うわ〜、こういうことだよ💦」と思いました。
自分だけが“関係を深めた”と信じきっている様子が滲んでいて、「キミも当然、同じ気持ちだよね」と、決めつけてる感じ。
世間の人は、「ふつうのやつ」ってワードに食い付いてる気がするけども、私はこのメールの中に、親しみに見せかけた優位性アピールを感じて、かなり引いちゃった。
「性犯罪は性欲によるものではなく、支配欲によって起きているというのが世界のスタンダードな認識です」
数日前に、刑法学者で大阪大学の元副学長の島岡まな教授の、とても興味深いお話しを読んで、この内容が私の心にとても深く刺さりました。
2022年に滋賀県で起きた、医大生2人が知人女性にたいして起こした、性的暴行事件では、
被害女性が「いやだ」「痛い」と繰り返し拒否していた映像が残りながらも、2024年12月の二審で無罪判決が出されたのだそう。
理由は「同意がなかったとは言えない」・・・言葉を失います。
これほどまでに、“同意”の認識が社会に浸透していないってことに、すごくショックです。
まさに、私が大嫌いな言葉、「いやよいやよも好きのうち」の発想が、この国にはここまで根付いているのかと。
島岡まな教授は、「“同意とは何か”の教育が圧倒的に不足している」と警鐘を鳴らしておられるのだけど、私も激しく同意します。
この事件でも、「いや」と言ったのは、女性の表面的なものという解釈は、被害者の“同意の意思”を完全に無視したものです。
実際に、”女性が行為に前向きだった証拠”は何も存在しないのに、“合意”があったもの、と推認されてしまった。
たとえ女性が恐怖で声を出せなかったり、抵抗できなかったとしても、証拠がなければ「同意があった」とみなされてしまうということです。 なんて恐ろしいこと!
私には、中居さんの意見と、被害者女性の意見が噛み合わないのも、これと同じような感覚ではないのかという気がします。
いくら口では嫌だと言っても、女性だって本当は喜んでいるものなのだという、大間違いで歪んだ認識が、世間には蔓延してるということです。危険! 怖すぎます。
ちなみに、NHKの調査によると、男性の中には、
「二人でお酒を飲んだら性的同意がある」
「相手の家に行ったら性的同意がある」と誤解している人が、かなり多いことがわかったそう。
滋賀医大生事件でも、被害者が相手の家に行ったのは「2次会をするつもりだった」という事情があって、これは女性の立場なら、普通に理解できる自然な行動に思えます。
女性は、性的な同意は慎重に判断されるべきであり、状況や気持ちは流動的で、いつでも拒否できる権利があると考えています。
しかし男性は「家に行ったんだから被害者にも責任がある」と解釈する。
この点もまた、滋賀医大生事件にも、中居正広さんと被害者女性のトラブルにも通じるポイントだと思います。
「相手の家に行っておきながら、後になって何言ってんの!?」と言われてしまう。
しかも世間では、「男性の性欲は抑えられないものだから、仕方がない」という認識がまかり通っているというか、むしろ、男性の特性として大目に見るべきという考え方が、少なからずあるのではないでしょうか。
だからこそ、性犯罪、性暴力の源動欲求は、性欲でなくて支配欲なんだということは、公に認識されるべきことだと思うのです。
身近にある「気軽な誘い」が抱える困難さを実感するシーンが、私にもよくあります。
というのも、実は私自身も、男性から「今度、家に来てよ」と気軽に言われることがあるんですよね。
私の仕事柄、もしかすると、「お茶飲みがてら、さっくり僕の家の風水のアドバイスしてもらえないかな?」という(違った意味での)下心?があってのお誘いなのかもしれません(笑)
ですが、下心があるにしてもないにしても、たとえ親しみのつもりで言われたのだとしても、一応アタクシも女性である以上、返答には正直、ちょっと困ります。
もしそこで「ご自宅にお邪魔するのは、さすがにそれは…」と丁寧にお断りした場合、
「まさか僕がキミに、何かするとでも思ってるの⁉️自惚れてない❓」な〜んて受け取られる可能性だってございますでしょう、そうでしょう〜?(小田切ヒロさん風に)。
特にお仕事の絡みの方など、相手との関係性によっては、うっかりしたリアクションが空気を壊しかねません。
大人の私でさえそうなのだから、10代や20代の若い女性たちなら、もっと戸惑って当然ですよね。
「家に来てよ」は飛躍した例だとしても、日常的に男性が「親しみ」や「優しさ」を装う風で、距離を縮めてくる感じって、ありますよね。
例えば、女性があまり得意ではないことを、「教えてあげる」「手伝ってあげる」と言われれば、確かに「ありがたい」「助かる」と思うのだけど、何かちょっとした違和感を感じる時。
あるいは、道を歩いている時などに、「ほら、危ないよ」と言って、いきなり肩を引き寄せられたり、手を繋がれたりという”保護者アピール”に「あ、どうもご親切に・・・」と思いながらも、何か釈然としない気持ち悪さが残ること。
女性からすると、特に”断りづらい関係性”において、男性から親しみに見せかけた優位性をアピールをされることは、ある意味「無自覚な加害」だと、私は思っています。
なぜ“男性特有”のマウントになりやすいのかといえば、 おそらくそれは、“社会的に優位であることが男性性の価値”とされてきた文化的背景の影響なのでしょう。
多くの男性は無意識に、
場をリードすること=男らしさ
女性より上の立場であること=男性としての魅力
女性から頼られること=男性の支配を求めている
という解釈をする方が多いのかもしれません。
一見すると親切。 でもその言葉の奥にあるのは、「自分のほうが上」という立場から、相手を導いているような態度。
性別に関係なく、人に対して優しく丁寧に接することを心がけている女性ほど、男性からの優位性アピールを「反発せずに飲み込む」形になりやすく、大人なのだからと、相手との関係を壊さないことを優先しようとするものです。
優しさと、芯の強さは、けして矛盾するわけではないのだから、自分を支配しようとする相手から、自分自身をしっかりと守ることは、女性にとってとても大切なことだと思うのです。
とても重要なことなので、3つのポイントにまとめてみました。
1. 「親しみ」に見せかけた優位性と支配の危険性
一見、優しさや親切に見える「自分が上の立場」と信じる優位性や支配には、とくに“断りづらい関係性”において、苦しんでいる女性は多いのです。
2. 性加害の本質は「性欲」ではなく「支配欲」
性加害の根本にあるのは性欲ではなく「支配欲」。
「イヤ=同意」というのはとんでもなく危険な誤認です。
3. 「同意」に関する教育と認識の不足
司法の判断にさえ「最終的に拒否されなければ同意」という認識がある現実。
「二人でお酒を飲んだら」「家に行ったら」すなわち「同意」とみなされる、社会的な誤解があります。
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