大谷翔平さんが、声明を発表なさいましたね。
水原さんといえば、常に大谷さんに寄り添い、細かな気配りと絶妙なサポートで大谷さんを支えてこられたというイメージの方です。
実際、周囲からも高い評価を得ていて、水原さんのファンという方もいらしたくらいだと思いますので、そんな彼が、違法賭博に関与していたというだけでもショックなニュースでした。
なので、はじめの説明のように、水原さんがギャンブルで作ってしまった多額の借金を、大谷さんが「二度としないという約束で肩代わりした」と聞けば、大谷さんの優しそうなお人柄のイメージ的に、そりゃ、そういう流れにもなるだろうと、妙にすんなりと納得できてしまうお話しだと言う気がします。
でも、それだと大谷さんが違法賭博に関わってしまったということになるわけで。
では、水原さんが自分の判断で、大谷さんの個人口座から、莫大な金額を勝手に振り込んだとなると、「お金を盗んだ」ということになるから、一体、真相はどうなの??と、なんだかヤキモキしていたのだけど・・・。
大谷さんのご説明では、簡潔に、水原さんがお金を盗んだということのようですから、結局、それが真相なのでしょうね。
何が事実にしろ、とても残念。 というか、なんだかやっぱり、モヤっと感が残るのよね。
かといって、大谷さんご自身が、ギャンブルには関与していないと言う説明は、何の違和感もなしに納得できます。
それでも、素人の私には、な~んか素朴な疑問が湧くのよ。
例えば、巨額の収入がある大谷さんの専属の通訳の方とはいえ、他人の口座を勝手に操作するなんてことが、普通にできるものなの?
カリフォルニア州では違法なことを、カリフォルニアに長く住んでいて、しかもギャンブルが好きだという水原さんご自身が、何故、把握していないの?
もっと素朴な疑問だと、水原さんご自身は、どちらかというと一般人のスタンスの方だと思うのだけど、そんな方でも億単位の金額を、簡単にギャンブルにつぎ込めるような生活が、アメリカではできるものなの?
できるんだろうけどね、できるからこうなってるんだろうけどさ。
いろんな意味で、意思の疎通のための言語って、本当に大事なものだとつくづく感じた一件です。
野球のこととか何にもわからない私を含め、大谷さんと言う人物は、「偉大なプレイヤー ≒ とてつもない大金を稼ぐ人」というイメージを持つのが、一般の人の普通の感覚って気がするの。
想像もつかないくらいの金額を稼ぐ人にとって、6億とか、7億円って、払ってあげられない金額ではないとおもうの。 でも、かといって、あくまで一般人のスタンスの方である水原さんが、「ゴメン、来月には返せるから」と、簡単に言える額ではないと思うわけよ。
「払えるだろう人」と「払えないだろう人」の図式が、成立ちそうで成り立たってない関係で、その間に不明瞭な点が見え隠れしてる気がすることに、なんかモヤっとするのかも。
そもそも、ギャンブルでそんな額を使っちゃうということ自体、一般人の中の一般人である私には、理解しがたいことなんだけど。 最初から理解が出来ないから、永遠に疑問なのかもしれません。
ギャンブル依存症については、誰にでもなり得ると言う人もいるのだけど、私のように、もともとギャンブルに興味を持たないタイプの人間にとっては、どのような心理状態でハマってしまうのかとか、いろいろと計り知れない部分が多いのです。
どれほど金銭的な問題を抱えて精神的に追い詰められようとも、ギャンブルをやり続けてしまうというのは、おそらく「絶対に巻き返せる」という気持ちがあるからなのかな?っていうのが、私の想像なのですが。
これまでの研究や臨床では、ギャンブル依存症の患者は常に過剰にリスクを好み、性格のように一定の傾向が見られるという考え方が主流であったそうなのですが、
人は、「状況に応じてどの程度リスクを許容するか」という判断を、柔軟に切り替えて生活していることは明らかであるため、過去のモデルによる依存症の理解や治療には限界があったのだそう。
そこで、京都大学の研究チームが、「ギャンブル依存症では状況に応じてリスクの取り方を切り替える能力に障害がある」という仮説のもと、研究を行ったところ、
ギャンブル依存症の方は、「ノルマの厳しさを正しく認識するのに必要な背外側前頭前野の活動が低下している」ということがわかったのだそうです。
また、「リスク態度の切り替えに重要な背外側前頭前野と内側前頭前野の結合が弱い患者ほど、ギャンブルを絶っている期間が短く、また、低ノルマ条件でハイリスク・ハイリターンのギャンブルを選択する傾向が強い」ということがわかったそうですよ。
(※ 論 文:ギャンブル依存症の理解の変遷と新たな展開)
性格的に、ロスカット(損切)が苦手な人って、ギャンブルにかかわらず、「ここまで頑張ったんだからやめられない」とか、「ここまで時間をかけたんだから、続けるしかない」という発想になってしまい、方向転換のタイミングを逃して、人生の時間を大いに無駄にしてしまう傾向がある気がする。
失礼承知で言うならば、下手の横好きというのか(ごめんね)、「オレは絶対にビッグなミュージシャンになる‼」とか、「オレは絶対に一流のお笑い芸人になる‼」とかいう夢を掲げ続けて、本来なりたいものではお金を得ることができず、それどころか、いっこうに芽が出る気配もない人っていたりするではないですか、
ここらで終止符を打つということができない人というのが、世の中には一定数、存在するものですよね。
でも、逃げるが勝ちとか、負けるが勝ちということも、人生においては正しい場面がたくさんあると思うんです。
あきらめることが恥にはならないというシーンが、人生においてはたくさん訪れるものです。
京都大学の研究でもわかるように、性格的なものではなく、脳の特性としてロスカットが苦手な人も、世の中にはいるということなんですね。
でも、「ここらでやめる」と思う勇気と決断って、負けでも損でもなくて、むしろ人生における正解であり、成功への分岐点でもあると思うのですよ。
Aのマークが好きなので、もちろんこのお帽子も持ってます。 うきわのドッグスクールに行くときに、日よけにかぶるお帽子です。
でも、正直なところ、キャップって私にはあまり似合わないんですよね💦 似合わないものは、諦める勇気も必要かな。
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