春のお彼岸に入りました。
2024年の春彼岸は、3月17日(日)から3月23日(土)まで。
週末、土日はオンラインセミナーの予定でしたから、彼岸の入りとなる2日前に、妹のBeBeと一緒にお墓掃除に出かけてきました。
いつもはたいてい一人で出かけて黙々と行うお墓掃除も、2人で楽しくおしゃべりしながらやると、あっという間です♫
お墓掃除を済ませたら、2人でお食事をして帰りました。
ところで彼岸という言葉ですが、彼岸とは、本来は「三途(さんず)の川」の向こう側という意味で、三途の川のこちら側のことは、此岸(しがん)というのだそうです。
この世とあの世を隔てる川があって、川の向こう側があの世だという概念です。
そもそも、「三途の川」とは何かというと、彼岸の手前にある川を渡る方法が、3パターンがあるからなのだそうです。
3パターンというのは、善人、軽い罪の人、悪人とでは、それぞれ違う方法で川を渡るのだという意味で、例えば生前、罪を犯さなかった善人の場合は、金銀七宝で作られた橋を渡り、楽々と三途の川を渡ることができるのだそう。
罪が軽い人であった場合だと、橋を渡ることはできないので、三途の川を歩いて渡らなければならないのですが、山水瀬(さんすいせ)と呼ばれる川の浅瀬を渡るのだそうです。
では、重い罪を犯した人の場合だと、やはり自力で川を渡るのですが、三途の川の下流の方にある、強深瀬(ごうしんせ)と呼ばれる、深くて急な流れの場所を、とても苦労しながら渡らなければならないのだそう。
あの世に行くときに、辛い思いをしなくて良いように、現世では、善人であることが大切だと、昔の人たちは考えていたのでしょうね。
昔は、お葬儀の時に亡くなった方の棺の中に、川の渡り賃として六文銭を入れていました。
なぜ六文が必要だったかというと、六道のお地蔵様に一文ずつ渡すため。
六道というのは「天上」、「人間」、「修羅」、「畜生」、「餓鬼」、「地獄」の六つの世界のことで、それぞれの世界を見守るお地蔵様たちに、一文ずつ渡せるように、という意味なのだそうです。
六文銭といえば、戦国時代に、あの有名な真田幸村の、赤地に黒の「六文銭の軍旗」は、真田の赤備えとして、とても恐れられていたのだとか。
真田氏は、三途の川の渡し賃である六文銭を家紋に用いることで、常に死をもいとわない、不惜身命の決意で戦に望んでいることを示していたのだと言われています。
先日、訪れた太宰府天満宮の、心字池にかかる橋です。
この橋は、逆戻りしてはいけないと言われているのだけど、天満宮に向けて橋を渡って行く時にはいつも、逆戻りしてくる大勢の方たちとすれ違うのが気になります。
逆戻りがダメというのは、あくまでも迷信ですから、不作法なことでも、参拝者としてのルール違反というわけでも全くないのですが、ついつい、気になってしまうのです。
かといって、神社の境内から楽しげに逆戻りに橋を渡ってくる人たちを避けながら神社の境内を目指すとき、いちいちその方達に、「逆戻りはしない方が良いのですよ」と伝えるのも、ねえ・・・。
そういえば、三途の川まで行ったけど、川を渡らずに戻ったら、死の淵から戻ってきたという人がいらっしゃいますよね。
ちなみに、ウチのBeBeちゃんも、そう。
また子供の頃にも、祖母から、私たちの身内の誰かにも、そんな経験をした人がいたという話を聞いたことがあるのですよ。
我が家には、ちょっと不思議なDNAが受け継がれているのかもしれません。
さて、暑さ寒さも彼岸まで、といいますが、これから少しは寒さが和らいでくれるでしょうか。暖かな春が本当に待ち遠しいものです。
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