ウワサ話し

ありがとうJAL

この度の、羽田空港の飛行機事故によって、犠牲になった方に深くお悔やみを申し上げます。
また、お怪我をなさった方の一日も早いご快癒をお祈り申し上げます。 

関係者の方々の、ご心労をお察しするとたまらなく胸が痛みます。

ただ、JAL機に搭乗されていた方が一人残らず脱出できたということは、この大惨事においての、せめてもの救いだと私は思いました。

JALの乗務員さん達の素晴らしい働きと、迅速で的確な判断と行動力は、本当にご立派だと思います。 

そして、搭乗されていた方々が、乗務員さんの適切な指示に従われ、混乱をおこすことなく連携して行動されたからこそ、スムースな脱出が叶ったに違いありません。

なにしろ通常でも、運行に何の問題もなく空港に着陸した時ですら、乗降口のドアがオープンになるのを通路に立って待つ間、後ろの人から「早く行けよ」と言わんばかりに押されるようなことって、あるではないですか。

前の人を押しのけようとする人だって、たまにお見掛けすることだってありますもの。

ですから、今回の事故の機内で、我先にと、人を押しのけてでも逃げようとするような人がもしいたならば、おそらく機内は大変なパニックになってしまって、あれほどスムースな避難は実現しなかっただろうと思うのです。

そのうえ、小さな子供さんや赤ちゃん、ご高齢の方もいらしたでしょうから、きっとみなさんが助け合って、小さい方や、体力の弱い方を守ってあげたことで、無事に脱出することができたに違いないと思うと、なんて素晴らしい国で私は生まれ育ったのだろうと、有難い気持ちになりました。

ふと、タイタニックのお話を思い出しました。

沈みゆく船で、一等船室や二等船室のジェントルマンたちは、率先してご婦人や子供たちを助けるために、先に救命ボートに載せようとしたそうです。

でも、三等船室の男性たちは、我先にと、自分が助かろうとしたというような話を、昔し、何かで読んだような気がして、それでちょっと調べてみたんです。

そしたら、タイタニック号沈没事故 犠牲者と生存者のデータがちゃんとありました。
(※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/25 01:35 UTC 版)

これをざっと見た限り、一等船室の女性の生存率が97%なのに対し、三等船客の女性の死亡率は54%。 つまり一等船客の女性は3%の方しか命を落とさなかったのに、三等船客の女性の半分以上の方は助からなかった、ということがわかります。

ちなみに一番死亡率が高かったのが、2等船客の男性で、92%の方が命を落とされたようです。

一等船客の子供は6人のうちの5人が生存し、二等船客の子供は全員が生き残りました。 ですが、三等船客の子供は79人中、なんと52人が亡くなったのだそうです。

この数字をみて、以前私が何かで読んだ話は、ある程度史実に基づいた話だったのか…と思ったわけですが、もちろん、安い船室に乗っていた人たちの全員が、マナーが悪いとか、他人への配慮がなされないなどとは、まさか思いませんよ。

ディカプリオみたいな人も、きっとたくさんいたことでしょう、きっと。

ただ、一等船客と二等船客の殿方たちは、ご自身の命よりも先に、女性と子供を優先するという、紳士的な振る舞いを身に着けておられた方が多かった、ということは、間違いないような気がします。

ところで、そのタイタニック号の生存者の中には、唯一の日本人の乗船客であった男性が含まれています。

その方のお名前は、細野正文氏。 この方は、なんと、あのYMOの細野晴臣氏のおじい様です。

鉄道官僚でいらした細野氏は、当時お仕事でロシアに留学されており、ロンドンを経由して帰国する際、タイタニックに乗船して、ニューヨークを回って日本に戻ることになっていたようで、唯一の日本人乗船客であったようです。

この時、無事に生き残ってくださったおかげで、あの偉大なミュージシャンである細野晴臣氏の存在があるわけです。 本当にありがとうなのです。

ですけど、この細野正文氏は、帰国後、日本では「婦女子を押しのけて生存したんだろう」という汚名を着せられてしまったらしく、あの有名な新渡戸稲造氏(以前の五千円札に載ってた人ね)からも、雑誌の寄稿文で悪口を書かれたりしたらしいから、とてもお気の毒なことです。

実際は、そうではなかったんですよ。 その汚名が晴らされたのは、だいぶ後になってからのことらしいですけど、誤解されてしまい、本当にお気の毒です。

細野氏が生前語られたことが、当時のある雑誌に掲載されているそうで、見つけましたのでご紹介しますね。

ふと舷側を見ると、今や最後のボートがおろされるところで中には45人分の女子供が乗って居たが、スルスルと1ヤードか2ヤード程卸した。
ところが何か滑車に故障があったと見えてピタリと止まった。
ふと聞くともなしに聞くと「何にまだまだ3人位ゆっくり乗れるじゃないか」と船員同士の話声がした。
私は立ち止った。すると私の側に居った一人の船員がヒラリとばかりにボートに飛び下りた。
見るとボートは元の儘、舳のところが空いて誰も居ない。
これなら飛び込んでも誰にも危害を与えまいと思ったので、いきなり飛び下りた
『冒険世界』(1912年7月号)より

つまり、船室から出た時に、たまたま目の前におろされたボートには、まだゆとりがあったので、細野氏はそこに飛び降りて、無事に生存したということらしく、けして我先にと他人を押しのけたりしてボートに乗り込んだわけではないんです。

でも、当時のイギリス紳士にしても、武士道精神がまだしっかりと残っていた当時の日本では(新渡戸稲造さんは、あの「武士道」という本を書いた人ね、余談ですが、私の愛読書のひとつでもあります)女性や子供を優先するということが、一定の社会的階級の殿方には、社会的、かつ紳士的なマナーとしてしっかりと浸透していたということでしょうね。

今回の羽田空港の事故でも、機内の皆さん方の民度の高い行動によって、JAL機の乗客の方々は全員が無事だったのだと思います。

そして、的確な誘導をされたであろう、JAlの素晴らしい乗務員の方々のお力も、本当に日本の誇りだと私は思うのですよ。

ところで、タイタニック号にも、わんちゃんや猫ちゃんたちが乗っていました。 船室のネズミ退治に活躍をしていた船乗り猫のジェニーちゃんとその子供たちをはじめ、多くのペットたちが、一緒に乗船していたようです。

このことについては、また明日、お話ししたいと思います。

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