ウワサ話し

祖父の命日

5月に入りました。

今日の福岡は、朝からとても気持ちの良いお天気でした。

いつものように目覚めて一番に部屋の窓を開けると、爽やかな風が流れ込んできて、なんだか幸せな気分になりました。

東京から戻ったら、部屋の窓から見える景色がすっかり変化していました。 

たった半月ちょっとで、木々の緑が劇的にボリュームアップしていて、瑞々く茂った若葉の景色に、気持ちまで清々しくなります。

そういえば、今回東京に行った時、ちょうど新宿のBeBeのお部屋のドアの前から見える、お隣の建物のお庭の八重桜の、ふっくらとした可愛らしい花が満開でしたが、帰福する頃には、すっかり若葉に変わっていました。

毎日をバタバタと過ごしていると、一日、1週間、1ヶ月すら、たちまち飛ぶように過ぎていきますが、季節と共にある自然に時折目を向け、「今」を感じるゆとりを持つことは、日常の暮らしに彩りを添える、小さな秘訣であるかもしれません。

今日は、氏神様に朔(ついたち)のお参りに出かけてきました。

神社の境内も、青々とした若葉で覆われていました。

5月1日は、母方の祖父の命日でもあります。

十二神将の共著にも登場している、生前は小学校の校長をしていた私たち姉妹の祖父は、早逝したため、残念なことに実際には会ったことがない人です。

母の話では、母が子供の頃、自宅には毎晩のように、祖父の同僚の先生方や、卒業生たちが訪れて、遅くまで賑やかな宴会が行われていたそう。

祖母はいつも嫌な顔ひとつせず、来客に料理やお酒を出してもてなしていたのだのだそうです。

祖父はとてもお酒が強い人でしたが、けして酔った姿を人に見せることのなかった人だったそう。 人望が厚く、立派な人柄だったと、親戚の者たちからよく聞かされたものです。

お酒に合わせて、少量の上質で美味しいものを好んで口にし、持ち物も、数少なく質の良いものを好んで身につける人であったそうですが、それも昔の人のダンディズムであるのかもしれませんね。

南九州は、お酒というと焼酎のことを指すという土地柄です。 実は私は焼酎は苦手ですが、今日は祖父のために、宮崎県の焼酎をお供えしました。

コロナ禍に入ってから、外で食事をする機会を極端に減らしたうえ、ここ数年は、滅多に自宅でもお酒を飲むことがないので、自宅にストックしているお酒が何もなくて、祖父のために焼酎を買いに行って、お茶やお菓子と一緒にお供えしました。

祖父は「甘いものは女やこどもの食べる物だ」と言う人だったらしいので、お菓子は要らないかな?とも思ったけれど、せっかくだから(笑)

もしかすると、祖母や子供たちに食べさせたくて、そんなふうに言っていたかもしれない。 

祖父は篤実で、聡慧な人であったそうなので、家族にそんな優しい気遣いをしていたのかも。

実際に会ったことがない人なので、母や親戚からきかされたイメージの中にしか存在しない人なのだけど、祖父のことで、とても印象的な出来事があります。

もう、かれこれ20年くらい前のことになりますか、母の産土神様を探しに、母とBeBeと3人で、母の生まれた種子島を訪れた時のことです。

母は、まだ小さい頃に、父親(私たちの祖父)の転勤で、種子島を離れたのですが、断片的にしても、とても小さかった頃にしては驚くほどに、母は種子島にいた時の記憶をとどめていました。

その日、種子島に住む郷土史研究家の叔父のナビゲートのもと、母の記憶を辿りながら、母の産土神社を探しに行ったのです。

母が生まれた時に住んでいたという、種子島の北側の地域に向かい、まずは何か手がかりになるものはないかと、辺りを見回していた叔父が、「あそこにいらっしゃるご婦人に尋ねてみよう」と、ちょうど畑仕事をしていらした、ご年配の女性に声をかけました。

すると、なんとその方は、子供の頃に通っていらした小学校に当時赴任していた、私たちの祖父のことを覚えていてくださいました。

「すらっと背が高くてらしてねえ、メガネをかけて。 私は習ったことがないけれど、とっても人気のある先生でしたよ。ええ、よく覚えています。」優しい笑顔で、そう教えてくださいました。

祖母の家にあった遺影の、祖父の姿がありありと浮かびました。 私が唯一知っている、祖父の姿です。

母は溢れる涙をそっと拭っていました。

ああ、そうなのか。私が聞いていた通りの人だったんだな、祖父という人は。

そう思うと、とてもありがたくて、誇らしい気持ちになった、私にとって大切な思い出です。 

ご先祖様に感謝するという気持ちは、今の世の中には馴染み深いものではなくなってきているのかもしれません。

実際、父が転勤族だった私も、両親の実家近くには一度も住んだことがなくて、子供の頃には年に一、二度、せいぜいお墓参りをする程度でしたから、私も、身近にご先祖様の存在があったわけではないのです。

でも、確かに、私たちの中には、自分のご先祖様の存在があるのです。

顔や体格、好みや癖、考え方。 自分を形作る様々なものには、確かにご先祖様から脈々と伝えられてきた要素が存在しているはずなのです。

ところで、母の産土神様を探しに種子島まで行ったのは、自分の産土神様に、一度きちんとご挨拶をしておいた方がいいよね、ということからでした。

すでに祖母も亡くなった後でしたので、母の記憶だけを頼りに、生まれたあたりの土地を訪ね、当時住んでいた家があっただろうと思われる場所の、一番近くの神社を探しました。

手探りながら、それはワクワクする、なかなか楽しい冒険でした。

先日もここでお話しした通り、私は宮崎市で生まれましたので、生まれた場所のすぐ近くの宮崎神宮の神様が産土神様です。 

この神社の神様が、私が生まれた瞬間から、一生、私のことを守ってくださる神様なんです。

宮崎神宮は、日本で一番最初の天皇と言われる神武天皇と、その母君とされる玉依姫命が祀られた神社ですが、不思議なことに、福岡市で生まれた妹のBeBeの産土神様も、同じ玉依姫命が主祭神なのです。

つまり私たち姉妹は、違う県で生まれはしているものの、同じ産土神様に守られているという御神縁でつがなっているんです。

ご神縁というのは、こんなふうに、単なる偶然と言ってスルーするには勿体無いような、不思議でありがたいつながりがあるもので、たとえば、

「どうしてこの人と出会えたのだろう?」と思えるようなステキな出会いや、
「なぜ、この人と仲良くなれたんだろう?」と思える、一見つながりを見出せないような不思議な出会いには、不思議とお互い同じ産土神様や、同じ氏神様に守られているというご縁の存在があったりするものなんですよ。

まさに神秘✨

偶然という言葉で片付けてしまえばそれだけのことですが、でも、人は感謝することが多いほど、それはたくさんの幸せを感じられるというのと同じこと。

見えないつながりも、大切なご縁なのです。 

一つ一つのご縁全てにありがたいと感謝できる気持ちを大切にしたいと思うのです。

氏神様の境内のつつじの花も満開でした。 つつじの花言葉は、「慎み」「節度」。 

謙虚な気持ちを忘れないことも大切だということを、あらためて感じさせてくれる花なのですね。

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