人間関係

子供の労働問題

良い季節になりました。 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

心ならずもご無沙汰致しております。

ブログ更新ができない時って、お察しの通り、忙しさに追われている時…ではあるのですが、現状をお話しいたしますと、このところ、過密スケジュールをこなしているというよりも、実際は雑務に追われておりました。

両親と一緒に暮らしておりますと、日常の家事に加えて、父や母のサポート的な細々とした用事が何かと加わってくるので、ホントにどーでもいいような些細な用事であるにしても、これが2人分となれば、思いのほか時間を取られちゃったりするのですよね。

しかも最近は、この二人がだんだん年齢を重ねてまいりましたおかげで、あたくしの雑務は増える一方なんです。

昔は、家庭が貧しければ貧しいほど、その家の子供の労働力が、大人から期待されていたようですよね。

日本では、義務教育はすでに150年ほど前から推進されているそうで、戦後に、就学スタイルが6年と3年に定まってからでも、すでに70年以上は経過しています。

でも、私の母が子供の頃は、家庭の事情で学校に来ていない子供さんが、クラスに数人いた記憶があるという話を聞いたことがあります。

特に、田植えの時期などの、田舎の方の農家の繁忙期とか、たとえ小さな子でも、さらに幼い弟や妹の子守りをさせられるなど、すでにもう立派な働き手として頭数に入れられていたらしいです。

猫の手も借りたいという言葉がある通り、幼い子供でも、何かしらできる仕事を与えられば、手助けとしては充分に役に立ってくれるもの。

例えばこの時代だって、小さなお子さんのいらっしゃるお母様などは、ちょっとしたお手伝いを、上の子供さんがやってくれることで、助かるということも多いかと思います。

赤ちゃんのおむつ替えの最中なんかで両手が塞がっているときに、「ねえ、ちょっとお願い!」と、何かの用事を頼める人がいるのといないのでは、全然違うと思いますもの。

昔、子供の数は多ければ多いほど良いというのは、育てる側に充分な財力ある場合以外は、大抵、子供の労働力までもが、大人からあてにされていたということだと思います。

これが、開発途上の国となれば、現在でもその傾向はあるものかと。

児童労働の主な原因は、貧困なのですが、最近の調査によると、世界で児童労働に従事する子どもの数は、20年にわたり減少し続けてきたものの、新型コロナウイルス感染症による貧困が影響し、再び増加傾向にあるようです。

世界中で、およそ1億6,000万人の子どもたちが児童労働をしているそうで、この数字は、義務教育を受けるべき年齢の子供が、10人に一人の割合で、教育を受けずに労働を強いられているということになるんですって

「産めよ増やせよ」という言葉は、第二次世界大戦頃までの、日本のスローガンというイメージが強いですが、実は「産めよ増やせよ地に満ちよ」というのは旧約聖書の中に記されている言葉で、ユダヤ教にもカトリック教徒にもこの教えが受け継がれているため、同性愛が否定される原因にもなっているのだとか。

自分達の暮らしだけでもカツカツならば、なぜ子供だけ増やすのかという疑問に対しての理由は、きっと色々とあるのでしょうが、結果的に、子供の労働や子供の貧困問題へとつながっていることは、間違いないですよね。

この国での義務教育というのは、ご存知の通り、6歳で小学校に入学してから、15歳で中学を卒業するまでの9年間、子供に教育を受けさせなければならないという義務です。

ですから、いくら子供が「勉強嫌いだから、ヤダ」と言おうと、必ず教育を受けさせなければならないというのが親の義務ですし、ましてや、「ウチは貧しいんだから、勉強するよりお金を稼いでこい」とかいって、学校に行かせないというのは、この国の決まりに違反するということです。

あくまで、親側に課せられている義務なわけで、子供に対して大人が守らなければいけない、国の決まりなのですよね。 それが義務教育。 子供は「教育を受ける権利」があるのです。

そこでふと思ったんだけど、義務教育はきちんと果たしながらも、さらに労働も強いられている子供がいたとしたならば、ダブルワークはよりいっそう辛いだろうなあ・・・と。

もちろん、親の勝手で教育を受けさせてもらえないという子供がいたとしたならば、それは虐待に値することだし、国の決まりにも背いているのだけど、学校に通いながら、さらに親からさまざまな労働を強いられている子供がいたとするなら、体力的にも精神的にも、もっともっと辛いはず。

最近、子供の貧困と同時に、ヤングケアラーの問題も耳にします。 

しかしながら、こういうことって、表面に出てきにくいことだし、子供ってそういうことを隠そうとするから、余計に分かりにくいよね。

そう言えば、以前、私とあまり年齢が変わらない方から、「子供の頃、新聞配達をしてずっと家計を助けていた」という苦労話を打ち明けられたことがありましたっけ。

そんな方もいらっしゃるわけですから、私など、ホント、苦労知らずでこの歳になってしまったと言えるものかと思います。

「労働」という言葉は、辞書にも載っている通り、『体を使って働くこと。特に、賃金・報酬を得るために、体力や知力を使って働くこと』なのだけど、実際、労働しているにも関わらず、賃金が発生していない労働ってありますよね。

例えば、自分が食べるための食事を作ることは、生きるための営みに他ならないけど、誰かに食べさせるために料理を作ることは、労働と言えるのではないでしょうか。

自分が快適に暮らすために、家の掃除や整理整頓をしたり、衣服を清潔に保つなどの行為は、暮らしの営みだけど、同じことを誰かのために行うことはこれは労働に値すると思う。

だからね、人は生きていくうえで、できるだけ自分のことは自分で行うことが大事なのではないかと思うのですよ。

こういうことって、大人でも大変なんだから、子供のダブルワークはもっと重労働だろうなあと思うんです。 

そんなわけで、最近の雑務に追われながら、「私は大人なんだから、頑張らなきゃ」と自分を励ましているところでございます。

てかさー、そもそも、どうでも良い用事に追われて、ブログ更新もままならないって、あり得んわ。

子供の労働力を、当たり前に期待されてもね・・・って、いいトシになった「子供」の私は、ブツブツと独り言を言いつつ、ため息をつきながら仕方なしに日々の雑務と労働を頑張っておるわけでございます。

愚痴ってすみません。 あたくし、ちょっと疲れているのかもしれません。

さてさて、今月は、年に2回のお習字の昇段試験がある月で、毎月の課題に加え、受験用の課題が追加されるので、毛筆と硬筆の両方の課題を書き上げることも、この数日かけて頑張っていました。

綺麗な字でお手紙を書けること
毛筆でサラサラと美しい字を書けること

これは、いつか私が叶えたいと思っていること。

一朝一夕に実現できることではありませんが、バケットリストにも加えたい項目です。 継続は力なりという言葉を信じ、師匠に倣って努力を続けたいと思っています。

筆を持って気持ちをお手本に向けて集中させることって、心のリセットにつながります。 忙しい時でも、私にとってはありがたい、必要な時間なのです。

お生徒さんが、ほうじ茶を送ってくださいました。

この季節にぴったりの、美しい藤のカードに、丁寧な文字で手書きのメッセージが記されていました。

ありがたく、美味しく頂戴いたします・・・✨

今日もご覧下さってありがとうございます。
このバナーをポチっとクリックして、ブログのランキングアップにご協力くださいませ‼ 応援よろしくお願いします。


人気ブログランキング

「人気ブログランキング」・「天然石・パワーストーン ブログランキング」に参加しています。 あなたのクリックがブログをささえてくれます♡

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。