ウワサ話し

門司港レトロ

先日、鮑義忠先生と妹のBeBeと一緒に、北九州市の小倉まで風水監修に出かけた帰りに、せっかくここまできたのだから、自宅のある福岡市とは逆方向になるけど、門司港まで足を伸ばすことにしました。

ところで、小倉という街、これは「おぐら」ではなく「こくら」読みますが、江戸時代には譜代大名であった小笠原氏が居城していた小倉城のある、かつての城下町です。

「Aya先生は、いっつもお城のことばっかり言ってますね。」と、鮑先生には笑われてしまいましたが、お城好きの私にとって、小倉を語る上では欠かせない大事な情報なんですけど(笑)

かつて私はこの街に、ちょうど5年住んでいました。

私のこれまでの人生の中で、それは最も不幸で辛くて最悪だった5年間です。 この世に地獄というものがあるとするなら、私にとっては小倉の街で過ごした5年間が、まさにそれでした。

あの頃のことを思うだけでも、苦しく切ない気持ちが蘇ってくるという、良い思い出は何一つなく、全く辛い記憶しかない街なのですが、今こうして幸せに過ごせているのも、あの頃の自分をバネにして生きてこられたから。

そして先日は、鮑先生とBeBeと一緒に楽しくお出かけしましたので、ようやく初めて楽しい記憶が一つできたかな、と思えた素敵な1日になりました。

さて、小倉北区から海沿いの道を少し走ると、ほどなく山口県との県境となる、門司区に着きます。

目の前の関門海峡を渡れば、山口県の下関です。

源平合戦の最後の合戦場として有名な壇之浦は、すぐ向こう岸。 今も古戦場跡が残されています。

まあ、言ってみれば、私とBeBeは、ここで無念にも敗北した側の、平家方の子孫にあたるわけなのですけどもね。

門司港から下関側に渡るには、連絡船であっという間ですが、上には関門橋がかかり、海底には関門トンネル。

関門海峡はとても流れが早いことで有名ですから、泳いで渡るにはちょっと危険かな。

ちなみに、武蔵と小次郎が戦ったことで有名な巌流島も、この場所からはちょうど見えませんが、ここから、ほんのすぐのところにあります。

せっかく小倉まで来たのですから、鮑先生にも、是非この景色をお目にかけたかったのですよね。

門司港レトロでポーズをおキメになる素敵なお方✨

JRの門司港駅周辺地域に残る街並みは、かつて外国貿易で栄え、近代日本を支えた港町として歴史に名を刻む場所で、明治から大正、昭和の始め頃のレトロな建造物が並び、ノスタルジックな景色を楽しめます。 ここが門司港レトロです。

明治の中期には、石炭などを扱う国の特別輸出港に指定されたことで、重要な貿易港となったこの港は、その後、軍事関係の物資を扱う商業が目覚ましく発展し、戦時中には沢山の兵士たちを送り出す港でもありました。

今も当時の美しい趣を残した門司港駅の駅舎は、大正時代の初めに建てられたもので、ここはバナナの叩き売り発祥の地としても知られれています。

当時、台湾から輸入されてきたバナナは、台湾から近い門司の港を流通拠点として、大量に荷上げされていたそうです。

今のように保存技術が進んでいなかった時代、傷がついたり熟れ過ぎたりしたバナナを、独特の口上を述べながら売りさばいたのが、バナナの叩き売りの始まりです。

バナナの叩き売りが盛んに行われていた時代には、この辺りには、沢山のテキ屋さんたちが並んでいたそうですよ。

独特の口上とは、こういうやつらしいです。 私も実際には拝見したことがありませんのですが、妙に耳に残る名調子ですので、再生してご覧になる方はご注意を。

なんだかお腹が空いてきたので、瓦そばを食べました(鮑先生がご馳走してくださいました)

瓦そばは、向こう岸の下関の川棚というところの名物です。 瓦の上で茶そばを焼いていただくのだけど、私の大好物なの。

ちなみに、自宅で作るときには、ホットプレートでやります。

「たかせ」さんは、地元の名店で、昔は車を飛ばして下関まで、瓦そばのためだけわざわざに出かけていました。 人気のおかげで、今ではいろんなところに支店ができましたね。 鮑先生は、当然ながら初体験よ。

夜の帷が降り始めた頃の門司港レトロ。 とても美しいですよね✨

お陰様で楽しい思い出ができた、素敵な1日になりました✨

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