アート

その苦難は、試練なのか警告なのか

生きていると、「どうして自分にだけこんな辛い出来事が?!」と思えるような苦難が訪れることがあります。

古くから、忍耐を美徳とするような私たち日本人は、耐え忍ぶ力で人の強さをはかるところがある気がします。

そして、無理に頑張ってしまう人ほど、我慢をし続けたその先には、必ず良いことが待っていると信じているものです。

だって、そう思わないと頑張れませんものね。

確かに、ひたすら頑張り続けた先に、素晴らしい結果や、大きな成功が待っていることもある。

だけど、もしも、どれほど頑張っても無駄に終わることに、大変な時間と労力を費やしてしまっているとしたら・・・? 

実際に、頑張っても頑張っても、最後まで良い結果が訪れないことだってあるのですから。

私たちは、努力して生きてゆく中で、どうやってそれを見極めたら良いのでしょうか?

ところで最近、ちょっとした心配事が重なっていて、気分転換も兼ねて、福岡市美術館で開催されている、ミュシャ展に行ってきました。
 

福岡市の美術館は、街の中心地にあるのに、水と緑に包まれたとても素敵なところに建ってるんですよ♪

アール・ヌーヴォーを代表する画家であるミュシャは、デザイナーでもあり、コマーシャルアートのオーソリティーとも言える方で、素晴らしい芸術作品をたくさんのこした作家です。

美しい曲線で描かれる、麗しげな女性の姿に、優美で繊細な草花・・・。

展示されている作品は、すべて撮影が許可されているので、うっとりするような美しいポスターや絵画、挿絵やラベルのすべてを、スマホにおさめて持ち帰りたくなったほどです。

とても有名な「zodiaue」黄道十二宮 1896年の作品です。

ミュシャの描く、エレガントで可憐な女性の姿には、誰もが魅了されてしまいますね。 そして、彼の作品を、大抵の方が、これまでどこかで目にしたことがおありかと思うのです。

でも、私はミュシャという作家についての知識がほとんどなくて、今回、ミュシャ展を訪れて、彼がフランスではなく、チェコで生まれた人であることを知りました。

そして、これほどたくさんの作品があることにも、どこか東洋のテイストを感じさせるデザインが多くあることも驚きました。 

中には、日本の着物の帯や半衿などに施されている刺繍を思い出させるようなデザインもあって、おや?っと思ったら・・・実際にミュシャは、日本の文化の影響を受けていたのですね。


山田五郎さんのYouTube、私の美術の先生とも言える番組かも(笑)

今回、ミュシャの生い立ちや、作品が生まれた経緯などを知ると、なんとミュシャって、人生で何度も挫折やピンチに出くわした方だったのですね。 もちろん、そんなことも初めて知りました。

少年時代には聖歌隊に入っていたミュシャは、とても高い歌唱力があったそう。 でも、声が出なくなってしまったことで、歌の世界を断念したのだそうです。

未来への希望が消えてしまうことって、とても辛いことです。 その時はきっと、すごく落胆したかと思うのだけど、彼が才能を発揮できる世界は別にあったってことなのね。 

神様はそのことをご存知だったのかも。 まさに、「のち知るべし」です。

絵を描くことも好きだったミュシャは、プラハの美術アカデミーへの入学を希望するも、失敗。 理由は、「他にふさわしい仕事を探しなさい」と、入学を断られたから、なんですって。 (ホントに見る目がないってこのことね!)

舞台装飾の仕事に就くも、得意先の劇場が焼失してしまい、仕事をなくしたり、パトロンからの援助を打ち切られてしまったりと、ミュシャの人生には多くの試練が訪れています。

ただ、そのパトロンの後押しによって、授業料や生活費の援助を受けられたことで、ミュシャはミュンヘンの美大や、パリの美術アカデミーで学び、確かな技術をしっかりと身につけることができたようです。

いよいよ、彼が大きく注目されるきっかけになったのは、ある女神様によってその才能を見出されたことです。

その女神こそが、当時パリで大活躍中だった、大女優のサラ・ベルナールです。

アルバイト先で、偶然舞い込んできた、舞台のポスターの仕事を引き受けたミュシャは、その素晴らしい出来栄えをサラに見込まれたことで、すぐに専属契約を結ぶことが決まりました。

それを機に、彼は世界中の人に愛される多くの作品を、次々に生み出すこととなるのです。

さて、話を冒頭に戻しますね。

生きていると、神様に試されているのかと思えるような、辛い試練に出会う時があります。

神様は、その人が背負えない荷物は背負わせないというけれど、そもそも神様の存在自体が、「根拠を示せないものだ」と言う人もいるわけですし。

そこで、私はこう考えます。

自分の進むべき正しい道を進んでいるときでも、間違った道を進んでいる時でも、不思議と同じように辛い苦難は訪れる。

正しい道を進んでいるときの苦難は、本当の意味で試されているとき。

では、間違っている道を進んでいるときは? 

間違っているからこそ、うまく進むわけがなく、だから障害が起こるのです。

だけど、どんなに辛い出来事があっても、正しい道を進んでいるときには、確かに神の力のような後押しがあるものです。

ミュシャにとっては、サラという、まるで女神様のような存在の人が現れたことです。

まるで神様の導きのような出来事によって、その道は正しい道だと示される。 それが目印です。

それはもしかすると、棚ぼた式のラッキーな出来事かもしれない。 

あるいは、自分にとっても耳が痛いような言葉でも、きちんと伝えてくれるような、有難い人の存在や応援かもしれない。

頑張っていることを後押ししてくれる神様のような存在が現れるかどうか、そして、頑張っていることに対して、自分自身が感謝の気持ちを持ちながら、努力することができるのかどうか。

つまり人には、自分の才能の力量を試される時と、人間性を試される時の、二つの試練が訪れるのではないかと私は思っています。

正しい道を進んでいるときほど、感謝の気持ちが持てなければ、せっかく現れた希望の女神様の存在すら、当たり前に思えてしまい、うっかり蔑ろにしてしまうもの。

そしてそんな時こそが、自分の才能ではなく、人間性が試されているときだと思うのです。

頑張っていることを後押ししてくれる力に対して、感謝しながら努力することができるのかどうか。

私は、特定の宗教を信仰しているわけではありませんし、神仏に対して、深い知識があるわけでもないのですが、目に見えず、存在の根拠を示すことができなくても、「神仏」というエネルギーを尊び、崇める気持ちを持つことって、大切なことなんじゃないかなと感じることがあります。

それは、神や仏という言葉に当てはめられる「何か」が、自分にとっての、正しい道を示してくれる光のような存在である気がするから。

サラの舞台のポスターの数々・・・どれも夢のように美しく、しかも広告としてもとても優秀な作品です。

美術館の窓の外に広がる、5月の緑の景色。 こんな素敵な空間も、美術館の魅力の一つです。美術館に来るのが好きなのは、こんな、非日常的な景色の中に身を置くことができるから。

ミュシャ展を見た後は、大濠公園の傍にある、素敵なカフェでランチにしました。

カフェのテラスからは公園の緑を眺められて、とてもリフレッシュできて、なんだか元気が湧いてきました。

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