今回の満月は、かなりココロとカラダに響きました…。
敏感な方は、ここ数日のイライラ感や、モヤモヤ感で、気分が晴れなかったり、頭痛や、首や肩の張りなどで何となく体が重く感じたり、何かとスッキリしない感じがしていた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私は、体質的に、かなり月の影響を受けやすいのですが、満月の頃には特に体がむくんでつらいので、ここ数日は、ぬるめのお湯にじっくり浸かったり、デトックス作用のあるお茶をしっかり飲んだりの対策を意識しておりました。
それでも、どういうわけなのか、今回の満月の影響といったら、結構な強さだった気がします。
ここ数日、私のところには、気持ちが不安定になってしまったことで、「誰かにきいてもらいたい」という愚痴とか、不安感をつぶやいたネガティブメールやLINEが倍増しました。
こういうことって、吐き出すと少しはスッキリするもので、「なんだかすごく楽になりました‼」とか、「ありがとう、頑張る‼」と、言っていただけることは、私にとっての喜びです。
今日あたりまで引っ張られる感じはあるかと思いますが、徐々に軽くなってくるかと思いますから、辛さを感じていらっしゃる方は、あまり神経質にならず、できるだけリラックスしてお過ごしくださいね♬
「我慢(がまん)」と言う言葉は、本来、仏の教えに逆らう言葉なのだそう
我慢(がまん)は、仏教の言葉で「煩悩(ぼんのう)」のひとつ。 もともとは、自己意識の強さによって起こる、慢心のことを表すものなのだそうです。
うぬぼれや自己過信から、自分を高くみて他人を低く見る気持ち。
すなわち、「自慢」という意味にもあてはまるもので、「自己に執着する心の表れである」と言われているそうです。
今の私たちが日常の中でイメージしている、「忍耐」とか「辛抱する」という意味あいは、我慢の言葉に含まれる、「我意を張る」という意味のニュアンスが強調されて、現代の意味に転じたようです。
私にメールでご相談をくださる方は、圧倒的に女性が多いのですが、今日は、そんな方の中で、ご自身の願い事として、ご主人様や彼、子供さんのことを伝えてこられる方…について、お話したいと思います。
「私の願い事は、夫の健康と、子供が〇〇でありますように、ということです。」
「私の願い事は、彼が今頑張っている仕事が成功することです。
こんな感じのご連絡をくださる方って、結構多いのですよ。
「そうよね、私も同じ‼」と思われた方が、たくさんいらっしゃるかも。
確かに、大切な家族と、自分の周りの大好きな人たちが、いつも健康で幸せであることは、私自身も常に願っていることです。
ですが、
ご自身の叶えたい希望や実現させたいことというのは、あくまでも、主語は自分であることが、とても大事なことです。
女性って、好きな人のために自分が「我慢」してしまいがち…というか、自己犠牲をささげることが、愛の表現であるように錯覚を起こしがちだと思うんです。
今言った我慢というのは、いつもの私たちの認識の「耐え忍ぶ」という意味合いの我慢、なのですが、
改めて考えてみると、それって本当に相手を思う気持ち?? もしかして自己への執着ではないのかな?ってことに気づいたりします。
ご主人様や彼、子供さんに「こうあってほしい」という気持ちがそのまま自分の幸せだとするならば、希望道りの展開にならなければ、それはご自分の不幸ってことですよね。
特に、母親の立場の方は、子供さんの夢を応援するために、子供さんと力を合わせて頑張っていらっしゃる方が多い(というかほどんどの方がそうだと思います)けど、中には、子供さんの夢に、すっかりご自身が便乗してしまっている方もいらっしゃるのですよね。
子供さんの目標が叶うことがご自身の目標になってしまうというか…。
「それのどこがいけないの??」って、純粋にお思いになる方もいらっしゃるかと思います。
「当然でしょ、私は自分のことよりも、子供が大事‼」」「だって夫の成功が、私や家族の幸せですもの‼」
そう思われる方も多いと思います。
でも、愛する人を幸せにするためには、まず自分自身の幸せに向き合う必要があるのです。
そうは言っても、ご自分の幸せを中心にして物事を考えることに、罪悪感を持たれる女性も多いものです。
そんな身勝手なことはできない…。 そう思われる女性は多いと思います。
ですが、それは結果的に、「自分の幸せのために、相手がこうあってほしい」と望んでいるのと同じことです。 そのほうがよほど罪なことです。
「我慢」という言葉の本来の意味で考えると、「私は家族のために、こんなに我慢している」という気持ちになった時には、
それは、「私は家族に対して、こんなに自己意識を強く持って接している」ということに言い換えられる…とも言えますよね…。
自分の望みや目標は、あくまでも、自分自身を主語にすること。
自分の夢や目標のために、頑張るのは、他人ではなく、自分自身であること。
これは、自分自身を幸せにするだけでなく、周りを幸せにできる人であるために、絶対に必要なことだと言えるでしょう。
「誰かにこうなってほしい」という願いや、「他人の心を操作しようとすること」で、断ち物をしてはいけないと私が思っているのは、つまり、そういう理由です。
誰かの夢に、自分の夢を重ねることが罪であるとは言いません。
ですが、「相手がこうなってくれたら自分が幸せだから…。」と、無意識の中でもそういう気持ちから、他人をコントロールしようとしていないかを、よく考えてみましょう。
相手には、相手の意思があります。
そして誰もが、まずは自分の幸せに、きちんと責任を持つべきなのです。
鮑先生と、妹のBeBeと一緒に大久保の媽祖廟にお詣りに行ったのが、ちょうど一年前だったみたいです。 一年たつのって早いです…‼
たった一年で、世の中がこんなに激変してしまうなんて。 こんなに出かけられない状況になるなんて、あの時には想像もしてませんでした。
東京の皆様にも、関西の皆様にも、「またすぐにお会いしましょう‼」とご挨拶したっきり・・・(涙)はやく、みなさんの笑顔にお目にかかりたいです。
とりあえす、オンライン授業の準備は、牛の歩みながら進めております‼ どうぞ、もう少々お待ちくださいませ‼