沖縄の首里城が焼失しました。
今朝、そのことを知って、ものすごいショックを受けました。
私が首里城を訪れたのはちょうど7年前。 そして、ちょうどこの季節でした。
といっても、沖縄の11月初旬、その時は真夏のように暑くて、半そでで十分だった(むしろそれでも暑かった)のを覚えています。
その後、何度か沖縄には行ったけれど、首里城には立ち寄らなかったので、私の手元にある自分で撮った写真は以前ブログでご紹介したこれらの写真だけ。
少しだけでも写真を残せておいてよかった。
琉球王国の栄華の証といわれる首里城は、 沖縄戦で灰燼に帰したけれど、1992年に沖縄の本土復帰20周年を記念して復元されました。
これが、7年前に、私が感激して見上げた首里城正殿です。
有名な『守礼門』に掲げられている「守禮之邦」というのは、「琉球は礼節を重んじる国である」という意味なのだそうです。
なんて素敵な言葉なのでしょう。
かつての琉球王国は、私と妹のBeBeのルーツである種子島とは古くから関わりあいがありました。
琉球の王は、種子島島主の治める種子島を、薩摩の一部としてではなく、あくまで一つの「国」として対応をしていたと聞いています。
しなやかな外交と柔軟な姿勢で異文化を取り入れ、沖縄の風土に見事に適応され築かれてきた琉球王国の精神。
そんなすばらしい国との関わりが、自分のルーツの中にあると思うと、私はなんだか勝手に、沖縄には特別な由縁を感じてしまうのです。
この時、首里城に連れて行ってくれて、詳しくガイドをしてくれたのが、学生時代からの仲良しで、福岡にしばらく住んだあと、郷里の沖縄に戻った殿方でした。
彼はいつも、「Ayaには楽しくて素敵な沖縄をたくさん見てもらいたい」と言うのです。
「悲しい歴史もあるけど、でも、沖縄は本当にきれいで、楽しい場所がたくさんあるから、Ayaにはそんな沖縄だけを見せてあげたい。」
彼はいつもそう言って、おすすめの場所に連れていってくれるので、私は美しくて楽しくて、素敵な沖縄しか知りません。
その中でも、私にとって特別な思いのあった、あの美しい首里城。
7年前に訪れて以来、その後は、一度も行ってなかったのは、「また、いつでも行くことができる」と思っていたからです。
ああ、私って、なんてバカ…‼
この世に当たり前なんてものはないのに。
偶然、前日にも、その彼とLINEメッセージでやり取りをしたばかりでした。
彼は、街の中で何気ない素敵な景色を見つけたり、九州では見かけない美しい花や、季節を先取りした沖縄特有の風景を見つけたら、私のことを思い出してくれるみたいで、写真を送ってくれるのです。
こんなふうに。(素敵な作品ですよね。)
今朝、首里城のことを知って、すぐに彼に連絡をしました。 沖縄の方達にとって、本当に大切な大切なシンボルで、心のよりどころであり、誇りでもある首里城。
焼け落ちてしまった姿に、沖縄の方たちは、どれほど胸を痛めていらっしゃることでしょうか…。
「悲しくてやりきれない」とLINEをしたら、すぐに彼から返事がきました。
「大丈夫‼ 戦争で破壊されても再建したんだから、首里城は必ず再建できるよ‼」
そうだよね、必ず再建できるよね。 絶対に甦らせなくちゃ。
だから、私は、私にできることで、お手伝いをしようと思います。
きっと、あの美しい姿を取り戻してほしいから。
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