ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
これは、脳性マヒで重い障害を持って生まれてきた山田康文君(やっちゃん)の作った詩です。 当時、やっちゃんが通っていた、奈良県立明日香養護学校の担任の向野先生が、やっちゃんの伝えたいことを文字に綴りました。 2人は根気よくとても長い時間を費やして、ようやくこの詩が文字になって生まれたのでした。
向野幾世著 『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』より
※(詩の中に不適切ととられかねない用語がありますが、障害児本人の作品であることから、原文が尊重されています。)
向野先生が、思い浮かぶありったけの言葉をあげてみます。 やっちゃんが表現したいことと一致すれば、やっちゃんは目をぎゅっとつぶります。 それがイエスのサイン。 違っていれば舌を出します。 それがノーのサイン :smile1: こうして、2人は根気よく詩作をすすめてゆきました。
最初の言葉、『ごめんなさいね おかあさん』が生まれるまでに、なんと1ヶ月の時間がかかったそうです。
『ごめんね おかあさん』を題にしようかと先生が言うと、やっちゃんは「ノーノー、いやだ」と舌を出しました。
それじゃ、男らしく『ごめんよ かあさん』これはどう?と言ってみると、またノーのサイン。
『ごめんなさいね おかあさん』を言った時に、やっと彼は嬉しそうにイエスのサインを出してくれたのだそうです。
向野先生は、その時のことを振り返ってこうお話しになっています。
「当時、奈良で、からだの不自由な人たちが集う施設『たんぽぽの家』を作ろうという運動が、お母さん方やボランティアの皆さんの手で進められていました。その資金集めのためにフォークコンサートをやろうということになったんです。障害者の詩をメロディーにのせて伝える『わたぼうしコンサート』です。やっちゃんは話すことはできませんでしたが、キャーキャーと声をあげ、詩を作りたいという意欲をみせたのです」
この詩をやっちゃんのお母さんに見せた時、おかあさんは絶句したそうです。 しばらくして「これをやっちゃんが・・・」と、呟いたのだそう。 そして、お母さんはこんな詩を返しました。
私の息子よ ゆるしてね
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
”重くはない?”と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
「第一回わたぼうしコンサート」は昭和50年4月26日に奈良市内で開かれました。 コンサートは大成功でした。 やっちゃんも車椅子でステージにあがり、向野先生がその詩を朗読しました。 もちろん、彼のそばにはお母さんも一緒に。
それから2ヵ月もたたず、やっちゃんは突然天に召されました。 15歳の誕生日を迎えた直後だったそうです。 横になって寝ていたやっちゃんの顔を、枕が塞いでしまったのです。
この詩の存在を知った時、私は胸がぎゅっと苦しくなりました。 自分の感情をそのまま伝える術を持たない子が、これほどまでに優しく感謝の気持ちと、母親に対して詫びる気持ちを、一番身近で一番の理解者である母親に対して、伝えたがっていたのだということが、ちょっとした衝撃でもありました。
母親が我が子に対して、「申し訳ない」と思っていることにも…。 そして、「ありがとう息子よ」と、感謝の言葉と、彼と共に生きていく決意が、これほど力強い思いとして伝えられていることにも…。
今感じていることや思っていることを、そのままダイレクトに言葉や態度で表現することのできない子と、その子を支え助けながら共に生きる母との気持ちが、これほどしっかりと優しく通いあっているというのに、自分の感情を簡単に伝えることが可能な立場だと、何故だかそれをややこしく曲げて伝えてしまったり、上手にできないと悩んでしまったりするのです。
それはおそらく、そんなことが誰にでもできるような、とても「当たり前のこと」だと思っているからなんですよね :ooo: :su1:
改めて、いろんなことを思わされました。 当たり前だと思えることに感謝する気持ちの大切さ。 コミュニケーションのあり方の大切さ。 素直な気持ちで身近な人の存在に感謝できること、それを言葉や態度でちゃんと伝えられること。 何より、優しい思いやりの気持ちを忘れないこと…。
向野先生は、このようにおっしゃっています。
「あの子の詩は障害者が『ごめんなさいね』なんて言わなくてもすむような世の中であってほしい、というメッセージ。 今もこうして皆さんの心に、呼びかけているんですね。 いま、障害者の問題は、高齢者の方たちの問題でもあります。
『老いる』というのは、障害が先送りされているということ。 歳をとると、足腰が不自由になって車椅子が必要になったり、知的障害になったり・・・健常者の方も、たいていはいつか障害者になるんですよ。
だから康文さんたちは私たちの先輩。世の中をより良くするよう切り開いてきた、パイオニアなんです」
今日は母の日。 少し重たいお話しになりましたが、私も母に感謝して、当たり前と思えることに改めて感謝して、今日の一日にたくさんの笑顔が生まれるように過ごそうと思います :smile2:
みなさんにとって、今日がとっても素敵な母の日になりますように… :smile3: ❗
今日の応援もよろしくお願いいたします :nikoniko:
彩さん、こんにちは。
私は特別支援学校の教員をしています。
ブログを読んで、今まで関わったお子さんやご家庭を思いながら胸がいっぱいになりました。
思うことはたくさんありお伝えしきれませんが、このような記事を載せていただいて感謝します。
彩さんのように感じてくれる方がお一人でも多くなると嬉しいです。
akiさま
ありがとうございます :smile2: :heart2:
ご立派なお仕事です…
きっと、とてもやりがいがあることでしょうが、
同じくらいのご苦労がおありのことかとお察しいたします。
akiさまのような方のお力が、たくさんの「ありがとう」をこの世界に生み出しているのですね… :smile2: :kirakira:
私からもありがとうございます ❗
私も伝えたいことがたくさんあるのですが、
なんだか思っていることを上手く表現できなくて… :ase:
もっと広くて豊かな表現力を養わなければ…とつくづく感じました :smile2:
あやさま、
素晴らしいご紹介ありがとうございます。
とても力強いお手紙ですね。赤の他人の私までお二人のこころからの愛情と思いが伝わりました。
母親、母代わりの女性、母親として頑張ってる女性、皆さんが素敵な日を送られますように。 :heart:
もちろん、うきわちゃん、グレちゃんの母お二人もステキな日を。。 :heart:
明さま
ありがとうございます :smile2:
こういうお話を目にして、改めていろいろ気づかせてもらったり、教えられたりしている私も、まだまだ未熟者なんですが :hehehe: :ooo:
誰もが本来感謝すべきことにも、「当たり前」という気持ちで、ついつい日々、いろんなことに対して不満ばかり口にしがちですから、
大いに反省すべきで見習うべきだとつくづく思いました。
せっかくの母の日なので、改めて私も母に感謝しなければ…という思いで、
みなさんにもご紹介しちゃいました :smile2: :heart2:
彩 さま
お久しぶりです :star:
素敵な事と表現していいものか・・簡単に言えませんが・・
私はダウン症の金澤翔子ちゃんとお母様にお会い出来た時に伺った時のお話が忘れられません。
お母様は翔子ちゃんが産まれてからの正直な気持ちをいつも講演や著書などで話されています。
この子と一緒に死のうか・・なんで我が子が障害児なんだ・・と受入れられなかったと・・
とても苦しい毎日を送られたと・・
でも毎日毎日そんな事を考えながら過ごしていたある日、地震があったそうです。
あんなに死にたいと考えていたお母様がとった行動は翔子ちゃんを抱きかかえ守っていたそうです。
御主人も他界され、今は楽しく翔子ちゃんと過ごしてみえます :smile2:
私はお会いした時に何故だか涙が止まりませんでした :reef:
自分でもわかりませんが、翔子ちゃんの中にある純粋な心に触れる事が出来、汚れた心が浄化されていくようでした :kirakira:
彼女は書道家としての道があり、今は大活躍です :heart:
彩さん今回のブログに登場した子もとても、純粋でまっすぐで読んでいて涙が出てきました。
彩さんの言われるように、身近な人への感謝・・いつでも言えるから、いつもいる事が当たり前だから思いやる事をつい忘れてしまう・・とても大切な事だと改めて思いました :happy:
改めて気付かせて頂き、ありがとうございます :peke: :peke:
ようこ❤さま
そんなお話しを伺うと、何が「健常」で何が「障害」と呼ぶのか、
その基準がわからなくなりますね。
人に対して思いやりを持てることや優しさをもって接することの出来る人や
自分の才能を活かし、社会に貢献できたり、
人に元気や勇気をあたえられること、人を幸せにできること、
それこそが健常者なのではないかしら…なんて思えたりします :smile1: :ooo:
彩 さま
おはようございます :onpu:
そうですね :heart:
眼に映る姿に障害があったとしても、心の中はとても慈愛に溢れている・・
そして眼に映る姿が健常であっても、人様を陥れたり感謝などない等・・自分がよければ人様は関係ないという心の中は健常ではない・・
悲しいですが、そういう現実が多いと感じます :down:
私は最初にお母様がそこまでの本音を話されて大丈夫なのかと驚きました。
ですが、きっと非難覚悟・そして障害を持ってみえる子供さんのご両親たちが同じ感情を抱いても大丈夫なのよ、と伝えて下さってるんだと受取りました :peke:
彩さんのブログも❤愛❤に満ち溢れています :heart2: :heart2:
これからも、お忙しいとは思いますが色んな発信をお待ちしています :smile2:
これから、暑くなりますがくれぐれもお体を大切になさって下さいませ :happy:
ようこ❤さま
そうですよね、隠そうとすること自体が差別の意識なのかも・・・
何も恥じることはないというお気持ちから、
お母様も堂々と、お嬢様のいろんなお話しをなさっているのでしょうね
そして、それによってたくさんの方に勇気や自信を分けていらっしゃる・・・
本当にご立派なことですよね :smile3: