カウンセリング・心理学

癒える力

大泣きしながら玉ねぎのみじん切りをするとき。 

料理を進めるのに、さっさとみじん切りを仕上げてしまいたいのに、ぽろぽろとこぼれる涙がそれを邪魔するのです。

涙で視界がゆらぎ、たまらず豪快に鼻をかんでから、まだグスグスいいながら、玉ねぎを刻み続けているとき。

「これは、家族への愛がなければできないよな…」と、いつも私は、しみじみと思うのです。

13日は、15年間もの間、私たち家族に笑顔をプレゼントし続けてくれた、愛犬の、先代うきわの命日でした。

ちょうど一年前、あの子は虹の橋を渡りました。

あの時はもう、人生の中でこれほどつらくて悲しい出来事があるだろうか・・・と、本気で思ったほどでした。 

泣いても泣いてもまだ涙があふれてきて、体の中にこんなに涙になる水分があったのかと、自分でも驚きましたっけ。

それでも家族の食事の支度にキッチンに立ち、悄然と料理を作っている時に、ふと、そうか、家族を守るということはこういうことなんだなと思ったのでした。

生きるということは、すなわち食べて命を繋ぐということ。 

私が特にそう実感するのは、どういうわけか、家の中にとても悲しいことがあったときや、とても大変なことがあったときなのです。

本能的に、ということなのでしょうか、「こんな時だからこそ、家族にはしっかりと食事をさせなくては」と、私は思うのですよ。

だからそんな時でもたくましく、必ず私は料理を作るのです。

しっかり生きるためには、しっかりと食べて、命に力をつけないと。 

だから「食べる」ということを、私はとても大事に思っているのです。

おそらく、これは私の遺伝子の中に、最初から搭載されている思考なのだと思います。

今日は少し早めに夕食の用意しておこうと、今夜のメニューのキーマカレーに入れる玉ねぎを、細かなみじん切りにしている時に、ちょうど昨年、うきわが虹の橋を渡った時間になりました。

あの時のことを思い出すと、今でもまだ胸がぎゅっとなるけど、「親が死んだときよりも泣いた」と言う父の冗談にも、今では家族で笑いあえるほどに、私たちは元気になりました。

あの日、自宅の前に到着した、うきわのためにお願いしたセレモニーカーは、たった1キロちょっとしかない、小さな小さな亡骸を託すのには、少し大きすぎるのではと思えるほどの立派な車でした。

「どこか近くに、広々とした場所はありませんか?」と訊かれたので、私と妹のBeBeが同時に思い浮かんだ場所で、うきわと最期のお別れをすることになりました。

冷たい小雨が降っていたあの日、寒い冬にじっと耐えている大きな桜の木の下で、あの子は空に登りました。

実は春になって、桜の花が開いたときに、私は一人でまた、その場所を訪れてみたのです。 

周りでは、たくさんの小鳥が楽し気にさえずっていて、空は青くて穏やかなお天気で、桜は見事に満開で・・・穏やかで幸せな景色を見ながら、自分の中に、心の痛みを癒してゆける力が確かに備わっているということに、私は感謝しました。

命あるものは、必ずその命が尽きる時がくる。

そして、命あるもの同士は、必ず出会った瞬間から、別れに向かって進むしかないものなのです。

だからこそ、一緒に過ごせる時間を大切にしなくては。

今この瞬間も、どの時間もすべて、かけがえのない、とても貴重なものなのですから。

愛犬の旅立ちは、改めて、そんな大切なことを教えてくれました。

プロのカメラマンさんに撮影していただいた、若かりし頃のうきわです。

とても大人しくてシャイな子で、知らない人のことが苦手でしたが、カメラを向けられてちょっぴり困惑しながらも、立派にモデルをつとめました(笑)

楽しい思い出ばかりをたくさん残してくれました。

ウチの子になってくれてありがとう。

あれからちょうど一年がたって、私たち家族は、2代目のうきわを迎え、今年のお正月もまた、たくさん笑って過ごすことができました。

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