悲しみを癒すために

大叔父の訃報が届いた翌日、どうしても外せなかったこの日のセミナーを予定通り19時に終えると、すぐに新幹線に飛び乗って、山口県の岩国まで向かいました。

大叔父の家は、大叔父をはじめ、家族みんなにいつも笑顔の絶えない、とっても楽しいお家です。 

大叔父は本当に優しい人で、家も家族も親戚も、そして周りの人達みんなをとっても大事にする人でしたから、通夜と葬儀は、大叔父がこれまでずっと大切に守ってきた、彼の自宅でいとなまれました。 

夜の闇の中、葬儀の灯りを灯して静かに迎えてくれたこの家の門。 ひっそりと悲しみに包まれています。 

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たくさん涙が出ても大丈夫なように、真っ白のハンカチとタオルハンカチをいつもより多めに持って行きました。 

通夜の日の深夜から翌朝までは、かなり強い雨が降りましたが、雨は葬儀が始まる前にはすっかりと上がり、不思議と傘はまったく必要としなかったのですよ。

お天気までもが、人に気遣い、人のことを思ってばかりだった、優しい叔父らしい計らいであるように思えてなりませんでした。

大叔父を慕って、とってもたくさんの方達がお別れに来てくださいましたから、この家の広い座敷も廊下もお庭も、大勢の人達で一杯になりました。 

大叔父を乗せた真っ白の車が自宅を出るころ、雲の隙間から明るい光がさしてきました。 家の門の前にはたくさんの人たちが並んで、大叔父を見送ってくださいました。

骨あげの後、大叔父は私たち親族を伴ってお寺へと向かいました。

途中、車は粋な計らいで、岩国の有名な「錦帯橋(きんたいきょう)」の見える場所で少し停車し、大叔父はお気に入りだったその美しい景色をしばし眺めたのでした。

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再び自宅に戻ってくる前にお寺にあがって、ご本尊のもとで追善供養をするのがこの家のならわしで、先代と同じように大叔父の法要はお寺のご本尊のもとでとりおこなわれました。

お葬式やお墓のことを、宗教観の強いものだからと毛嫌いしたり、お金のかかる無駄な習慣だというお考え方の方や、見栄や体裁のために行うものだと思い込んでいる方もいらっしゃるようです。

考え方、価値観は人それぞれですから、そういうご意見を否定するつもりなどありませんし、そもそも正しいとか間違いという基準で測ることでもないことですが、やはり私にはさみしい考え方だと思え、心豊かな生き方とはいえないような気がします。

こういうことにこそお金をかけることが大事だと言っているのではありません。 むしろ、逆で、お金の問題ではないのです。 

お葬儀やお墓の大切さは、理屈や理論で説明するものではなくて、家が代々行いながら、親御さんから子や孫へ、自然と伝えられ受け継がれるもの。

なので、親御さんからその大切さを学び取る機会がなかったり、あるいは不必要とか無駄なものというふうに理解して大人になられた方は、とても残念なことだと思えます。

もちろん、代々伝わるものだからこそ大事なことだし、多くの方に「親がやるから子もやるのが当たり前」と理解されているものだと思うのですが、私は、本来はもっともっとシンプルに、「人の心」を形にすることなんだと思うのです。

人はけして一人では生きてゆけないものです。 全てがいろんな人やいろんな力のお陰様。

だから、様々なことに「有り難い」「お陰様」という感謝の気持ちを持つことが大切で、お葬儀やお墓のことをきちんと大切にすることも、その気持ちの太い延長線上にあるものだと私は思います。

この世に生きていられるのは、自分のお陰ではなく、自分の身の回りのことは、すべて自分の力だけで成り立つものではないのです。

人は泣きながら生まれてきて、周りの人はみんなで笑って迎えてくれる。 そして死ぬときには、周りの人がみんなで泣いて送ってくれると言います。

お葬式とは、その人が人生を終え、送り出される最後の式典ですから、その人の一生の生きざまや行い全てが表れるものです。 

生前、素晴らしい行いと共に、やさしさや思いやりや愛情を、家族や周りの人達に示してくれたことを、縁ある残されたものたちが大切に守り伝えること…。

それは、その人が生きてきたことの感謝と愛を形にして、いつまでも守るということだと思います。 

丁寧にお葬儀を行い、お仏壇やお墓がきちんと守られるというのは、そういうことなのです。

もちろん葬儀の意味のセレモニーならば宗派や形式はそれぞれの事情に合わせればよいし、お墓にこだわらずとも、納骨堂におさめたりとか、それぞれの都合に合わせた方法で良いのです。

そして…。

お葬式行うということは、形式だけのことではなくて、実は残された者たちの心の痛みを癒す大事なセレモニーにもなります。

別れの悲しい気持ちを、このセレモニーを行うことで区切りをつけることで、心を納得させる大きな効果があるのです。

人は、きちんと気持ちを処理せねば、中途半端な感情をいつまでも残し、グズグズと引きずってしまうものです。

そういう意味でも大切なこと。

だから私も、きちんと葬儀に参列することができて、ちゃんとお別れを言えて、悲しみに暮れている大叔母のことを抱きしめて励ますことができて、本当に良かったなと思うのです。

親戚って、私の存在を喜んでくれて、小さな頃からずっと可愛がってくれて、とても有難い存在だもの。

この関係って、「縁」というつながりで思えば、不思議な特別感のあるものですよね。


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