ウワサ話し

NOが無視されてしまうこと

10月に入りました。

今年の夏は長かったですね。 残暑の厳しかった9月が終わり、体感的には晩夏から、ようやく初秋を感じられる気候になった気がします。

昨日は朝からとても爽やかなお天気でした。 

新宿御苑の近くのカフェで、カフェオレを飲みながらLINEの返信をしていると、20代前半くらいに見える、ひと組のカップルが入店してきました。

カウンターの前でオーダーしたものを待っているお二人を、何の気なしに眺めていたら、ふと彼の方が、彼女の背中越しに腕を回し、彼女の二の腕をぷにぷにとつまんだのです。

「もうっ!」と、彼女は小さな声をあげて、彼から軽く半歩ほど離れました。 しかし、彼は全く怯まず、しばらくするとまた彼女の二の腕をぷにっとつまみました。

彼女は今度は、明らかに毅然とした感じで、彼の腕を払い除けました。

見る人によっては、仲良しカップルのじゃれ合いのように見えたであろうことが、私にとっては、軽い嫌悪感と共に、過去の似た経験がフラッシュバックしてしまう出来事でした。 

実は、元彼が、まさにこれと同じようなことをする人だったんですよ。

ある時、一緒に道を歩いていたら、元カレが、いきなり私の脇腹をギュっとつまんだんですね。

「痛っ❗️」 前を歩いていた人が振り返るくらい、反射的に大きな声が出てしまいました。

マジで痛くて、しかも突然でびっくりしたし、何よりすごく嫌だったので、「ほんっとにイヤだからやめて」と、私にしては結構強めの口調で伝えました。

すると、彼は悪びれる様子もないどころか、さも嬉しそうに鼻に皺を寄せて笑ったかと思うと、あろうことか、それからしょっちゅう同じことを繰り返すようになったんです。 

その彼が、脇腹とか二の腕とかの、柔らかい箇所をつまんでくるのが私は嫌で嫌でたまらず、正直、今でもかなり不快な感覚として記憶に残っています。

もしかして男性は、女性の体の柔らかいところを、「太ってる証拠」とは捉えず、単に「ぷにぷにして触り心地が良い」と思っているのかもしれません。

そして、自分の彼女であれば、いつでもそういう箇所に触れて許される、という勘違いをしているのかも。

でも、女性にしてみれば、「自分の体型を指摘された」ような気持ちになりますし、なんなら自己否定に結びつけてしまう人もいるかもしれません。

しかもこれって、実は、かなり深い問題を孕んでいるのだと、今の私ならわかります。

男性が、ちょっとからかう気持ちで彼女にちょっかいをかけた時、「嫌がっている様子」も含めて、可愛いとか、面白いと感じているとしたら、その心理は決して愛情ではありませんよ❓

心理学では、相手が嫌がる反応を見て喜ぶことを サディズム的傾向と呼びます。

サディズムというと、なんだか過激なイメージが湧きますが、日常のちょっとした「いたずら」とか「からかい」にこそ、その要素が十分に隠れているんです。

相手が嫌がっていたり、困っている姿を面白がったりとか、「やめて」と言われてもやめない行為は、相手の気持ちよりも自分の楽しさを優先しているということです。

それはけして愛情ではなく、完全に「支配と虐待の心理」によるもの。 

こうした行為を「愛情表現」や「じゃれ合い」だと軽く見てしまう人もいますが、相手の境界を無視することは、決して些細なことではありません。

むしろ、相手の尊厳を無視し、心理的に支配しようとする行為に繋がりかねないことです。

何気ない“からかい”や“スキンシップ”のつもりでも、相手にとっては、自分の『嫌だ』という境界を無視された体験が、心の傷となります。 

驚く反応が見たくて、ちょっとしたいたずらを仕掛けるとか、怒った表情が面白くて、わざとからかうようなことをするという経験は、もしかすると、小さい頃から日常的に、男の子が、女の子に対して行ってしまいがちなことかもしれません。

子供のすることだし、大人からも見逃されることが多いことのような気がしますが、「不快なことをされた」ことに加え、「やめてと頼んだのにやめてもらえなかった」という経験は、された側の心に、強い無力感と悲しさを刻み込みます。

社会的学習理論によれば、「人は周囲の反応を通じて行動を学ぶ」、と言われているそうです。

「やめて」と言ったのに、やめてもらえない経験をした人は、「私のNOは通じないのだ」ということを学びます。

一方、相手が「やめて!」と言っていることも含め、楽しい(あるいは笑いを取れる)と感じる体験をした人は、「相手のNOは本当のNOではない」と、自分に都合の良いように学んでいくのです。

こうしたすれ違いが、深刻ないじめや、セクハラ、重大な性被害につながっていくのだと思います。

性被害のトラブルで、被害者側の「何度もやめてくださいと言ったのに、相手はそれを無視した」という話しは、どこかで聞いたことがありますよね? 恐ろしいことです。

相手が嫌がる姿が「かわいい」とか、「楽しい」という気持ちになるような感情のすり替えは、単に支配を愛情にすり替えているだけの自己満足です。

支配や無視を「冗談」や「愛情」とすり替えているなんて、なんだかゾッとします。

昨日、私がカフェで見かけたカップルの、ほんの数秒の出来事にしても、明らかに女性が嫌がっている様子が窺えましたから、老婆心ながら、本当は「軽いじゃれ合い」で済ませてはいけないんだがなあ…という気がしました。

多くの場合、こうした行為は「カップルのスキンシップ」や「彼の冗談」として、周囲はもちろん、ご本人たちの間でも見逃されることかと思います。

しかし、心理学的に見るとこれは、立派な「境界侵犯」と言えます。 

誰にとっても、同意の意思と、拒否の意思は、当たり前に尊重されるべき。

やっている側にとっては「軽い冗談」や、「デートを楽しむ行為の一つ」と思っていることでも、相手にとっては「尊重されなかった体験」として心の傷になり、蓄積されていっているということもあり得ますよ。

お若いお嬢さん方に伝えたい。 あなたの中の、小さな”違和感”を、スルーしてはいけません。 

ほんの些細な日常の出来事は、長年積もり積もってゆきます。 そうしてやがて、相手の本性が、深刻な問題になって浮上してくることもあるものです。


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