ウワサ話し

過去から伝わってくる意思

子供の頃からかなりの低血圧の貧血体質な私。 

かつて、帝国ホテルのブティックに勤務していた頃、毎日利用していた総武線を、東京駅で山手線に乗り換えるのに、あの長い長い登りエスカレーターに乗っている途中で、あろうことかいきなりフラっとしてしまったのです。

その時、後ろに立っていらしたスーツ姿の殿方が、すかさずさっと私の背中を支えてくださって、あわや大惨事となることを避けられたのでした。

「すみません、本当にありがとうございました。」と、なんとかお礼だけを申し上げるのがやっとだったのですが、もしその方がいてくださらなければ、下手すればエスカレーターの将棋倒し事故に・・・と思うと、今考えてもガクブル…‼

私の占術である四柱推命(正確には、私が行うのは「八字」というものです)では、生年月日と生まれた時間をもとに、その人の運勢はもちろん、生まれながらに持っている特徴等、過去の莫大な統計をもとに、様々なことがわかるもので、台湾では「あらゆる占術の王道」ともいわれているほどのものですが、

これによると、私自身は、生まれた時からご先祖様からの、たくさんの守りと助けを受けられているという者らしい。

それは「恩恵」というのとは、やや意味が異なるちょっと特殊なもので、ご先祖様からの恩恵を受けられているというタイプの人は、また別にいるのですけど…。

私の場合、例えるならば、ふと足元に目をやった時、靴紐がほどけているのに気づいたので、かがんで結びなおそうとした瞬間、偶然倒れてきたものが頭上をかすめ通ってゆき、奇跡的に難を逃れた…などというような神がかり的なラッキーであったり、

願った通りに物事が進まなくて、その時はとても落胆して泣き明かしたのだけど、実はそのおかげで、とんでもない命拾いができていたことが後にわかった…などという類のものです。

とにかく私の場合は罰当たりなことに、以前から、そのことを知識としては知っていたけど、その意味をきちんと飲み込めていなかった・・・ということに、ようやく最近気づき始めたところです。

もう、ずいぶんと前のことになりますが、ある小雨の夜のことです。 

その日、レースクイーンのお仕事を終えて、クタクタで戻ってきた妹のBeBeを、駅まで迎えに行った帰り、自宅近くの交差点で、整備不良の廃品回収トラックと衝突したんです、私。

車はトラックに押される形で数メートル流され、幸いにも道の角の歩道寸前で止まりましたから、ギリギリ建造物等損壊はまぬがれましたが、事故の瞬間って、妙に思考が冷静なものです。

「マズイな、このままだと、角のお店に車ごと突っ込むかも…。 やべー、新車なのに、修理代どれくらいかかるだろうか…。」

おそらく数秒のうちに、そんなことが同時に頭の中を巡りました。

BeBeの座っていた助手席側のドアは、完全に内側に「く」の字に曲がり、開かなくなっていたので、運転席側からまずは私、続いてBeBeが、のそのそと這い出すようにして、外に出ました。

するとその途端、「おい、生きとるぞ~‼ 」と、誰かが大声で叫ぶ声が聞こえたと思ったら、なんと我々の車の周りは既に、人だかりができていました(苦笑)

いや~、もうね、あれよ、大脱出を成功させたプリンセス天功の気分よ‼ 思わずポーズきめそうになったよ。

そんなことよりも、私たち姉妹といったらば、ケガひとつなく、すこぶる元気ピンピンだったのでした…。

「ダメやろうと思ったばい、怪我もしとらんて、どういうことやろうね‼ 」 そう言って、目撃者のオジサンが不思議がるほど。

新車は一発で廃車だったけどね…。

親の買った車を、納車後、たった数日で廃車にしてしまうなんて、なんという親不孝者だろう・・・と落ち込みまくっていたら、ある方からこう言っていただいたのです。

「二人とも元気でいてくれたなんて、こんな親孝行はないよ。」

ああ、そうだったのか、そうだったのかも…。 その時初めて、これは感謝しなくちゃいけないことなんだって思いました。

私は生まれながらにそんなラッキーの星を与えられていて、それでも以前は「ほぇ~、ありがたいこっちゃなぁ」程度にしか感じてなかったのですが、ようやく最近、ちょっとわかってきた気がします。

血は水よりも濃し と言う言葉があります。

血のつながりの強さを示す言葉で、”故事ことわざ辞典””によると 

親しい他人に比べても、血縁者同士の絆のほうが深く強いもので、頼りになるということ。
また、同じ血が流れる者同士の間には、濃い結びつきがあるということ。

と書いてあるのですが…。

私が思うに、この言葉の本当の意味は、親子、兄弟や、親戚つながりの絆は強いというような、人同士の付き合いを示しているわけではなく、実はもっともっと深い、どうやらDNAレベルでといえることのような気がします。

なにしろ、「遠くの親戚より近くの他人」ということわざもあるくらい、我々が生きていくうえでは、遠くに住む血縁より、むしろ、身近な人通しで助け合ったり、支え合ったりすることは自然なことで、血縁以上に、相性の合う身近な他人同士の関係って重要ですもん。

人同士の距離といったら、「半径5メートルの法則」 といって、「人は生活環境の半径5メートル以内で、すべての人間関係を構築される」といわれるほど、私たちが生活するうえで、身近な人との関わりってリアルに大事です。

特に恋愛においては、近くにいるもの同士ほど、結ばれやすい、というのが現実らしいし。

で、私が先ほどから言っている「血のつながり」というのは、普段の生活での人との関係性のことではなくて、過去から脈々と続いてきた縦のつながりのことです。

つまり、冒頭で述べたような「ご先祖様から与えられているもの」というのは、すなわち、ご先祖様の「意思」のようなものなのかも…ということに、最近ちょっと気づき始めてきたところなんです。

つまり、DNAレベルでいうと、人の血の中には、過去から伝わってきている「意思」が流れているということなんだと。

なので、冒頭の話にもどると、例えば私自身でいうと、(統計学的にみて「生まれた時からご先祖様からの、たくさんの守りと助けを受けられる」ような星を持たされてこの世に生を受けたとしたなら、それは何も、私が特別な存在というわけでも、ご先祖様から選びぬかれた素晴らしい人材だというわけでもないのです。

過去からの意思を受け継つぐという役割をもらっている、ということなんですね。

生きているうちに、やるべきこととして、役割を果たさないといけない。 生きている間しか行動はできません。

だからどうして昔から、命を粗末にしてはいけないと言うのかという意味が、最近ようやくきちんと理解できて来た気がします。

「ご先祖様に感謝する」という言葉は、本来はものすごく深い意味があるもので、上っ面だけぺろりと撫でたような意識で、気軽に口にして自己満足してちゃいかんのやなあと、つくづく思ったりしています。

先日、私たち姉妹のご先祖様にご挨拶してきました。 ここは、千代田区大手町にある、ご存じ「将門の首塚」です。 

姉妹でご挨拶している姿を、鮑義忠先生が撮ってくれていました。 その鮑義忠先生は、あの菅原道真公の子孫です。 天才風水師と言われたお父上の鮑黎明先生も、ご著書にそのことを書き遺しておられます。

日本の怨霊神2トップの子孫が揃ってるって、すげー。

昔から「菅原道真は延喜三年死す、将門此の歳に生る故に菅公の再生という評あり」と言われているらしいので、だとしたら、長い時を経て、ここに身内が集結してるってこと?? 

相縁機縁というのは、こういうことかもしれませんね。

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