ウワサ話し

日本の2大怨霊のその後

偶然、今日知ったのですが、2月25日は、菅原道真公の命日だそうです。

菅原道真公は、京の都から遠く、大宰府の地に左遷されて、都に帰れぬまま亡くなってしまったのですね、さぞや無念であったことでしょう。 

そして、道真公の亡骸を載せた牛車の牛が、座り込んでどうにも動かなくなった場所に、道真公は葬られたそうです。

その場所こそが、今の大宰府天満宮のご本殿があるところだと言われています。 道真公は、今もここに眠っていらっしゃるということですね。

ならば、当然、太宰部天満宮の参拝は、しっかりと身を清めて、道真公にお会いしに行くべきってことなのね、と納得です。 

道真公の没後、数々の「祟り」と言われる出来事に、道真公を陥れた関係者たちはすっかり怯えました。 なにしろ陰謀に関係した人たちが、次々に恐ろしい死に方をするわけです。

そんなわけで、やがてご神託に従って、道真公を神様としてお祀りしたのです。

どういうわけか、私は10代のころから、この天神様にご縁があり、天満宮にお参りをさせてもらう機会がとても多かったのです。 行く場所行く場所に、天神社があるのですもの。 本当に、ご神縁というのは不思議なものです。 

そういえば、妹のBeBeの、福岡の自宅の近くにある氏神様の神社も「天満宮」です。 

で、ちょっと調べてみたら、BeBeの氏神様となる天満宮は、500年以上前にはすでにあったらしく、ずいぶん古くから、BeBeの自宅のあたりの土地を、守ってくださっているようです。

我々人間の寿命は、以前よりもずいぶんと延びたとはいえ、神仏の歴史のほうがダントツに永いわけですから、そういう意味では私たちは、ご神縁に導かれて、その土地にご縁をいただいたり、導かれるようにして住まわせていただいたりしてるのだなぁと感じることがたくさんあるのです。

ところで、「天才風水師」といわれた、故 鮑黎明先生のご著書を以前、拝読していた時に、「私の母の先祖はなんと菅原道真公であるらしい。 子供のころから耳にタコができるほど聞かされたので忘れない。 宮崎の本家に家系図が残っているそうなのである。(原文まま)」という記述を発見して、ちょっと驚いたことがありました。

このご本によると、『ご先祖様が「一度くらいはお参りに来い」と思っておいでかもしれないと考え、ようやく四十を過ぎてから参詣した(原文まま)』とのことで、菅原道真公が祀られるに至った経緯と、さらには道真公がどれほどすごい怨霊であるかが細かく記されています。

もうお気づきかと思いますが、このお方こそ、あの鮑義忠先生のご尊父様であらせられるわけで、すると当然ながら、あの鮑義忠先生も道真公の子孫…。 

そんな話をしながら、今ふと、「ならば当然ながら、新宿の鮑先生のお住いのそばにも、道真公ゆかりとなるご神縁があるはずだ、なんで今まで気づかなかったのだろう…‼」 と思って、すぐに調べてみたら、やーはーりー‼ 

鮑先生のお住いのすぐ近くに、ちゃんと天満宮がございました。 次回の上京の際には、いの一番にご挨拶に伺わねば…‼

そういえば、先日の、福岡での鮑先生のセミナーの前に、東京にいたBeBeから、「家の図面をすぐに送ってもらえる?」と連絡がきたのですね。 なんでも、鮑先生がセミナーに使ってくださるとのことで。

ところが、私ったら、いきなり何を勘違いしたのか、「家の家系図」だと思ってしまい・・・。

母方のほうのなら、きれいにA4サイズにまとめてある資料があるから、すぐに送れるわ、と書棚から取り出しました。

母方の姓は、もとは「平姓」なのです。 

最初から数えて五番目に、この通り、

平将門の名前がございます。

平将門公といえば、菅原道真公と並び、日本の二大怨霊でございますが、何か? 

すでにお気づきかと思いますが、鮑義忠先生と私たち姉妹って、それぞれ、日本の怨霊2トップの子孫だったのね。

江戸城の表鬼門を守護してきたといわれる、大手町の神田明神は、平将門公を祀った神社であることで有名ですが、『ご先祖様が「一度くらいはお参りに来い」と思っておいでかもしれない』ので、次回の上京の際には、必ず、神田明神と首塚に参詣してまいります。

それにしても、この怨霊2トップの共通点といいましたら、無実の罪、濡れぎぬ、非業の死・・・ですよね。

死後に怨霊となり、自分たちを陥れた人達に復讐をして、さんざん怖がらせた…(ひでーな…)というところなのですが、鮑義忠先生のお父上である黎明先生は、平将門公についても、ご著書に詳しい記述を残してくださっています。

「将門は皇位を狙った逆臣という汚名を着せられていたが、それは違う。 将門は弱者の味方だった」 と。

しみじみと感じ入るのが、人間って、結局、自分によほど罪の意識や、他人を陥れて酷い目に遭わせたという自覚があれば、一生復讐に怯えて生きてゆかねばならないということなのだということです。

因果応報という言葉通り、たとえ相手がこの世に存在しなくなっても、自分のやったことは、必ず自分に戻ってくる。 つまりは、相手から直接復讐の手を下されなくても、結局は必ず、天罰が下りるということ。

何といっても、このような話は迷信だといったところで、実際に、道真公や将門公の死後、彼らを陥れた関係者が、次々と亡くなったことが過去の記録として残されていて、祟りは迷信だとしても、起こった事実は変えようがないわけで。

そこで、最近気づいたことがあります。 世の中には、やたらと「ばちがあたる」ことに対して、怖がる人や怯える人がいるものだけど、もしかするとそういう方は、何かご自分の身に覚えがあるということなのかもしれませんね。

社会には、人を陥れたり、自分に対して何の危害も加えない相手に対して、攻撃を仕掛けたり、いじめたりするような輩がいるけども、人が、する側か、される側かの二つに分かれるとしたなら、する側はけして、神仏のご加護を受けられることはないということです。

世の中、そんなに都合がよくできているものではありませんから。

そして、つくづく思うのが、非業の死を遂げても、その血というのはこうして、長い時を越えても脈々と続くのです。 

恨みの念などは、たとえ受け継がれていったとしても、たかが知れた年数で忘れ去られるもののはずだけども、血というものは恐ろしいと言う言葉がある通り、根底のものは変わることなく、おそらくずっと受け継がれてゆくものなのだという気がします。

私にも、妹のBeBeにも子供がいませんから、私たち姉妹が生まれてきたことで担った役割は、ここで成し遂げねばなりません。 

そう思うと、しっかりとやるべきことをやらねばと、改めて思ったりなんかするのです。 

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