ウワサ話し

怨霊の祟りの話

三連休、いかがお過ごしでしょうか。

先週は、福岡でも今年初めての雪が降ったかと思えば、コートがいらないほど、あたたかなお天気が続いたり…本当にこの時期、気候が安定しませんよね~‼。

お出かけに着て行くものを選んでおくにも、出かける寸前にお天気と気温を十分考慮してからじゃなくちゃ、事前に予定に合わせて着たいものを早めに決めておこうものなら、当日になって大慌てでコーディネイトの変更…ということになりかねません。

ところで、学生時代を福岡県の大宰府の地で過ごした私は、この場所が風水的にも最高の土地であることを体感しているのですが、同時に大宰府の「夏は暑くて冬は寒い」、いわば盆地特有の気候も、身をもって知っています。

福岡市内で「今日はかなり寒いね~」なんて言う日だと、大宰府ではすっかり雪が積もっていたりして、福岡の中心地「天神」からは、電車で30分で行ける場所なのに、これほど違うのかと驚くほどなんですよね。

盆地なので、京都や奈良の気候に非常によく似ているかと思うのですが、大宰府の地に立つと、私は、京都や奈良のエネルギーに非常によく似た波動を感じるのです。

それにしても、私が学生の頃って、大宰府は、初詣の時期と、受験シーズンだけは参拝者で大賑わいなものの、それ以外の時期はとても閑散としていて、今のような外国からのツアー客はもちろん、国内の観光客ですら、お見掛けすることは少なかったものです。

天満宮の参道も、平日は今と違い、とてもひっそりとしていて静かなものでした。 ところが、どれくらい前でしょうか、スピリチュアルブームが巻き起こってからですね、大勢の人が押し寄せるようになったのは。

さらに、今年は元号の「令和」所縁の土地と言うことで、大宰府の坂本八幡宮が、全国的に大注目され、大変な騒ぎとなりました。 

あの辺りも、たくさんの貴重な史跡が残されている場所なのにも関わらず、これまでほとんど一般の人たちには注目されることはなかったのに。

なにしろ、これまでは本当にひっそりとした静かな場所で…。 千年以上前に、この地に左遷された菅原道真公も、さぞかし淋しく、お辛い思いをなさったことかと思うのです。 

福岡は、弥生時代にはすでにアジアの玄関口として交通の要衝とされ、大宰府には7世紀には行政機関が置かれていたとはいえ、無実の罪をきせられて、華やかな京の都から一人、淋しい西の果てへと追いやられた道真公にしてみたら、あまりに辛い左遷だったことでしょう。

しかも、粗末な着物に、まともな食事すら与えられなかったというほど、ひどい待遇だったとききます。 

そのため、道真公は、大宰府の地に流されてから、潔白を証明できぬまま、わずか2年で亡くなってしまいました。 本当に、どれほど無念であったことか。 

道真公が都を出発したのが2月16日と言われますから、千年以上前の今頃の季節に、はるばる九州へ向けて、旅をされたのですね。

先ほども語った、福岡市の中心街である「天神」の地名の由来は、ここに水鏡天満宮があることからです。

京都から福岡に到着した時の道真公が、水鏡に映った、あまりのやつれはてたご自分のお姿を見て嘆いた…といわれる地に建てられた、とても悲しい由来のある神社です。

道真公の左遷は、あまりの知的レベルの高さと、驚異的にスピーディーな代出世を妬んでの陰謀によるもの。 それほど優れた人だったらしいです。

道真公の死後、陰謀に関わった者たちが次々と亡くなったり、天変地異が起こったということで、これが道真公の怨念による祟りであると、みんなが恐れおののいたと言われています。

菅原道真公は、かつては実在した人が「神様」になったという意味では、神道の中ではかなりレアなお方なんですよね。 

そして、何といっても、「日本三大怨霊」のお一人に数えられるほどですもの、よほど祟りを恐れられたか、さらに、それほど強い念が、広い信仰の対象となるほどだということです、いやいや、考えたらこれ、ものすごいことですよね。

福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮、そして、京の都から大宰府へ向かう途中に宿泊した地、山口県の防府にある、天満宮としては日本で最初に創建された、「防府天満宮」が「日本三大天神」と言われているそうですが、その他、日本中には、1万2千の天満宮と天神社があるそうです。 

全国に1万2千って、結構な数ですよね~‼

ところで、太宰府天満宮の参道が、鳥居の先からは本殿に向かって直角に曲がっていることを、私が子供のころから何となく不思議に思い、このルートにすごく違和感を感じていたのですよね、何故まっすぐ本殿へと向かわないのか??

実はこれは、怨霊封じのためという説があって、つまり、怨霊である菅原道真公の怨念を、本殿の中に封じ込めるために、参道をあえて曲げているというのです。

なるほど、これは出雲大社(いずもおおやしろ)の参道が曲がっている理由の説にも通じるお話ですね。

太宰府天満宮のこの鳥居をくぐると、先は行き止まりになっています。 参道は左に直角に曲がっていて、すぐに次の鳥居があります。

その鳥居をくぐり、先日お話した、あの3つの赤い橋を渡ると楼門があり、境内へ入るのです。(太宰府天満宮の知られざるルール

過去から現在の橋へ、そして未来の橋を渡り、すっかりと清められてから、本殿へと向かう参拝ルートとなるわけですが、怨霊を封じているのなら、ここで何かつじつまが合わないことにお気づきでしょうか?

怨霊神に参った後の、帰り道に我が身を清めるというのなら話は通りますが、行く道に私たちがすっかりと清められてからお参りをするという流れになっているなんて。 

つまり、菅原道真公は、本来、それほどに清らかで尊い神様として祀られているということではないでしょうか。

実は、大宰府に左遷された道真公は、恨みごとを言うでも、自分を陥れたを呪うでもなく、亡くなるまでの間、ただひたすら、国の安寧と、天皇の健康、残してきた家族の幸せを祈り続けたのだそうです。

でも、道真公を落とし入れた人達は、自分がどれほどの罰を受けるかと、恐ろしくてたまらなかったのですね。 あまりにも、人が人に対してするべきではないという限度を超えた、ひどいことをしたという自覚があったということなのでしょう。

道真公の没後、それほどにビクビクと怨霊の復讐を恐れていて、自分たちの身に不幸が起こるたびに、道真公の祟りだと、あまりの恐怖に死ぬまでおびえ続けたのでしょうね。

他人をひどい目に合わせたり陥れたりすると、その報復というのは、その相手からの復讐と言うより、自分のしたことが、ただ自分に戻ってくるというだけのことなのだと思います。

他人に向けた悪意、他人に行ったひどい仕打ち、裏切り、いじめ、いやがらせ・・・。

自分に対して、何の悪意も向けていない人に対して、悪念を放つようなことをすると、結局自分のしたこは全て、自分に戻ってくるのです。 

良いことをすればよいことが戻る。 悪いことをすれば、悪いことが戻る。 世の中の法則って、とてもシンプルな仕組みで、それがいわゆる「因果応報」ということなのだと思います。

最近思うに、誰かが間違った行動をすると、全く関係のない人達までが、やたらと「謝れ!」と、謝罪を要求風潮がある気がします。

でも、そもそも謝りさえすれば、すべてが帳消しになるってわけではないと思うし、謝罪を求めることに、他人が関わることもまた、何か違うのではないかと私は思うのです。

とにかくとても単純に、やったことは、やっただけのことが戻ってくる。 それは避けようのないことのような気がします。 

だから、他人に対して、ネガティブな感情を向けるべきではない。 他人を傷つけたり、貶めたりしてはいけないのです。 復讐は相手から向けられるのではなく、自分のしたことが自分に戻るだけのこと。 その力は実際に、とても恐ろしいものがあるのですよ。

さて、話を菅原道真公に戻しますが、このお方の子孫にあたる方が、私たち姉妹のとてもとても身近にいらっしゃるのです。 さて、それは誰でしょう。

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