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自信をもって、ぶれない自分でいられるために

『ファッションが教えてくれること(The September Issue)』は、 ファッション誌『VOGUE(ヴォーグ)』の敏腕編集長である、「アナ・ウィンター」と、雑誌編集に密着した2009年のアメリカのドキュメンタリー映画です :smile2: 私の好きな映画のひとつでもあります。

アナ・ウィンターといえば、 あごの上あたりラインで、ぱつんとまっすぐ切りそろえられた金髪のおかっぱに、真っ黒の大き目サングラス姿が浮かびます。彼女がアメリカ版『ヴォーグ』の編集長になってから、それまではどちらかというと保守的だった『VOGUE』は、世界中のファッションの最先端と言えるほどのトレンド誌へと変わったのです。

映画、『プラダを着た悪魔』の中で、メリル・ストリープが演じた、かなり個性的でクールなキャラ、「ランウェイ」編集長のミランダのモデルこそ、アナ・ウィンターであると言われています。 この映画も私の大好きな映画のひとつです :smile1: 主人公のアン・ハサウェイちゃんがとってもキュートで、映画の中のファッションがとにかく素敵 :smile2: :kirakira:

『プラダを着た悪魔』のストーリーは、ヤボったくてサエなかった、ある女の子のどド根性サクセスストーリなんだけど、努力と行動力で、みるみる成功の階段を駆け上ってゆく姿と、彼女がどんどん流行最先端なモードな女性に変身していくさまを見るのが楽しい。 なにより、映像の中の全てにエッジが効いててお洒落なんです :nikoniko: :onpu2: ちょっとした小物のひとつひとつまでがどれも可愛くて、疲れてる時や元気になりたい時に、何度でも観たくなっちゃう映画です :smile1:

ミランダのモデルとも言われる、アナ・ウィンターだけど、世界中から注目されるデザイナーのファッションショーには、最先端のブランドを身にまとって登場し、トレードマークの金髪おかっぱに真っ黒サングラスで最前列に陣取るの。 トレンド発信源はショーのランウェイではなく、むしろ彼女なのだと、業界の全ての人が認めてしまうほどのファッション業界のカリスマです。

『ファッションが教えてくれること』という映画の冒頭で、アナ・ウィンター自身が語ります。 

ファッションのことを恐れている人は大勢いると思う。 不安に感じるからこそけなしてしまう。 ファッションについて悪く言う人達は、恐れや不安の裏返しなのね。
自分がクールなグループに属していないと感じて、軽蔑したり、無視したりする。
たとえばキャロライナ・ヘレナの素晴らしいドレスや、ジェイブランドのブルージーンズをはいたからと言って、その人が軽薄なわけではないのに…。 
ファッションの何かが、人を動揺させるのね。

私はアナ・ウインターのこの言葉がとても好きです :smile1:

お洒落することを、「やたらと派手に着飾ろうとすること」だとか、「必要以上に目立とうとすること」、「異性に媚を売ること」だと否定的に見たり、軽蔑的な見方をする人がいらっしゃいます。  

何も、目立とうとすることや派手に見せること、奇抜な格好をすることや、露出が多くて性的アピールが強い服装をすることが、「お洒落」というわけではないのでは?と、私は思うのだけど、お洒落イコールそういうことだと決めつけたり、恥ずかしいことだという偏見を持っている人がいる。 

そして清楚…というよりはむしろ、「地味で他人の中で目立たないこと」、「際立たず、個性をのぞかせない事」に徹することで、安心できてる人って意外に多いような気がします。 

それとはまた逆に、いくら今、とても流行しているからといって飛びついて、「みんなと同じ」で安心できるということも、本当のお洒落とはいえないような気が私にはします。

ファッションセンスが優れている人って、際立った美的感覚に、最先端の情報をキャッチできる敏感なアンテナ、古いものも新しいものも取り入れられる柔軟さのある人。 良い物を見極められる目、組み合わせのセンスやバランス感覚、色彩感覚にも優れている人だと思うのだけど、アナ・ウインターが言うように、「ファッションを恐れている人」が、「不安に感じるからこそけなしてしまう」というのは、何か腑に落ちるというか、とても共感できる気がするのです。

そして、アナの言う「ファッションについて悪く言う人達は、恐れや不安の裏返し。 自分がクールなグループに属していないと感じるから、軽蔑したり、無視したりする。」 というのは、なにもファッションの分野だけに限られたことではないような気がします。 

「みんなと同じでないと不安」 と言う気持ちや、「自分と意見や考え方が違うと、否定したり、拒絶しようとする」 という態度など、これはどちらかというと、群れたがるタイプの女性に多い、典型的な集団心理である気がします。

こういう発想は、精神的に未熟な人の典型的な特徴であるらしいのだけど、仲間がいれば安心し、ちょっと違うと「排除しようとする」わけです。 つまりみんなが同じでないと落ち着かず、安心できないのね。 

子供たちの「いじめ」の問題は、社会ではとても深刻なことなのだけど、精神的にはまだ未発達だからこそ、子供達の間ではいじめが起きてしまいやすいのだそうです。 でもこれは、何も子供達の間だけではなく、ママ友いじめや、女性同士の社内のいじめや差別など、大人の社会でも、日常に当たり前に蔓延しているわけです。 

みんなと同じではなく、何かちょっとでも違って見える人や、違った行動をとる人は、集団の中にはふさわしくないので排除しようとする。 その発想の根本は、自分以外の人間の、新鮮なものや、斬新な意見を受け入れられないという、単なる自分の未成熟さの表れであるような気がします。 

アナ・ウインターが言うように、「自分がクールなグループに属していないと感じるから、軽蔑したり、無視したりする。」というのは、すなわち、自分の劣等感の裏返しの行動だということです。 違和感と言うよりも、むしろ脅威を感じるからこそ否定したり、排除しようとする心理の現われ。

いじめのターゲットは、同じ性格や同じタイプの人というような、いつも決まった人に限られているわけではありません。 つまり、昨日までは率先して誰かを排除しようとしたり、攻撃したりしていた人が、ある時から逆にターゲットになってしまうことだってあり得るということです。 

たいてい、弱い者こそビクビクといつも怯えているので、やられる前に攻撃してやろうと構えているものですから、ターゲットを見つけては、自分が率先して攻撃する側に立とうとします。 でも、自分のしたことは、いつか必ず自分にもどってくるのです。 それは、「いつかは自分も苛められる側になる」というだけの意味ではなくて、全く別の、いろんな形で、必ず…。

「自分は自分 ❗ 」という、ぶれないしっかりした信念さえあれば、他人に惑わされず、自分を信じてまっすぐに生きてゆけます。 どうでもよいことに惑わされたり、これでいいのかと迷って不安になることもなく、余計なことに心をとらわれることもないのです。

自分を信じられれば、他人がどうするかとか、他人はどう思うのかとか、他人に合わせて自分はどうすべきなのかとか、いちいちそんなどうでもよいことを気にすることもないのです。 

そんな強い信念を助けてくれるお守りのひとつが、この『バジュラ』です。 強烈な開運と、強力な厄払い効果を発揮するといわれる、もともとはチベット密教の法具ですが、日本では、奈良時代にはすでに密教の儀式に使われていたそうで、後醍醐天皇がお持ちであった記録もあるそうです。

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金剛杵(こんごうしょ)ともいわれ、もっとも堅固で、あらゆるものを打ち砕く力をもちます。 実は、このバジュラはパワフルな風水アイテムとして、2015年には特に、必須アイテムとなります。 今年最後の開運企画として、来年をぶれないこことでしっかりとつきすすみ、さらに強力な開運力を手にするためのパワフルツールとして、ネックレスにしました :smile1:

詳しくは、また明日ご案内しますね。 今日のところはこの辺で… :smile2: :heart:

本日の応援よろしくお願いいたします :smile2: :kirakira:

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