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「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」☆まず足元を整えて

今日は何だかホントに久しぶりに、BeBeと一緒に食事をしました :smile1: 一緒にパワーチャージも兼ねたお出かけをしたので、帰りに私たちのお気に入りの鶏料理屋さんで早めのお夕食を楽しみ、自宅の近くのモールのスタバでお茶してから帰宅 :smile1: 久しぶりに日曜日らしい日曜日を過ごしたかも… :smile1:

よく考えてみたら、昨晩のお夕食に自宅で作ったのもチキンのお料理でした(笑) 不思議なもので、味付けが全く違うと、食材が同じでも飽きないものですね :smile2:

昨晩作ったのはこれ :nikoniko: チキンのバジルソテーです :nikoniko: クラムチャウダーとともに :smile1:

私は食べることが大好きなので、お料理を作るのも好きですが、外食をするのももちろん大好き :nikoniko: いつも大喜びで食べちゃうので、お料理に手をつけたあとで、「しまった :ase: あんなキレイな盛り付けは、写真に残しておくべきだった 😯 」と思っても、いつも後のまつり…ってカンジなんです :nageyari:

ただ、レストランなどで、いちいち携帯を取り出して、パシャパシャ写真を撮ったり、スマホでチェックインしてフェイスブックにアップしている人達って、実はお店の方たちや周囲のお客さんたちには、あまり歓迎されてはいないようですよね :su1: :ooo: カジュアルなお店ならまだご愛嬌で許されても、そこそこ格式の高いようなお店では、こういった行動は、やはり控えたほうが良いかと思います。

レストランでは、お料理とともに、素敵なお店の雰囲気ごとその場の会話なども含めて楽しむ場ですから、そこで携帯を取り出して…というのは、確かにエレガントな行為ではないかもなって私も思います。

「お店の宣伝になるんだから、いいじゃないの :su2: ❗ 」と思うのは、お客側のちょっとした上から目線な考えであって、本当にお店の品格に誇りを持っていらっしゃるところは、逆に顧客を選びますから、テレビや雑誌の取材をお断りなさっているところも多いくらいです :smile1:

お店自体が「ウチの顧客」と認めた、大切な方だけに愛されればそれでいいわけで、おのぼりさん感覚の人達に押しかけられて、大切な顧客が離れていくようなことになったり、お店の品格が下がってしまうことを良しとされないのでしょう。

ところでたまに、「あの店は最近味が落ちた :su2: 」とか、「評判のわりには大したことなかったな :su2: 店の作りも意外とちゃちだね :su2: 」などと、評論家ぶっている方がいらっしゃるけれど、ご自身はご自宅では一体、どんなものを召し上がって、どんなたいそうなインテリアが整ったお部屋にお住まいなのかしら…? 🙄 って思っちゃいます :su1:

私の知るある殿方…といっても、私ごときが知人と呼ぶにはちょっとおこがましいというか、福岡を起点に日本中を飛び回り、企業向けにセミナーの仕方をセミナーすることを専門にされている、ある会社の社長さんがいらっしゃるのですが、数日前に、その方の発信しているメッセージの中に、こんな文章がありました。
(勝手に引用させていただきますが、次回お目にかかった際にでもお断りを申し上げておきます :smile1: )

『「脚下照顧」という禅家の標語がある。 他に対し​て理屈を言う前に自分の足元をよく見ろという意味。 自分の家を​きちんとし、周囲を整え、姿を正し、心を定め、すべてを片付けて​からこれから何をすべきか考えたい。』

ちょっと身が引き締まる思いがしました。 人のことなら何とでも言えるのです。 自分はどうなんだ?って言われたら、結構、「あちゃ~ :iyaiya: てへぺろ~ :nageyari: 」ってしか言いようのないことって多いもの…。

「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」というのは、禅の言葉ですが、「他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよ」という戒めの言葉です。 「他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省しなさい。」という意味で、身近なことに気をつけなさいという意味合いでもあることから、「足元によく気をつけよ」という標語として使われているようです。

お寺などにはよくこの言葉が書いてあるらしいのですが、「足下を見なさい」の意味から、「きちんと履き物をそろえましょう」という標語的に使われているみたいです。

ただ、この言葉の本当の意味は、もっと深いところにあって、先ほどのお話しではないけれど、誰だってそうですが、他人の批判をしつつも、意外と自分のことは100段ほど棚にあげているものです。 自分の批判ってなかなかできることではありませんものね 🙄

脚下とは自分の足もとのことですが、「自分の足元を見なさい」ということは、自分が一体どうであるかにしっかり目を向けなさいってことですよね :smile1: 「ホントにそのとおりだな :smile1: ❗ 」って、思わず姿勢が正される気持ちになりました。

よく、ブレスに託したいお願い事として、「本当に自分にふさわしい人に早く巡り会いたい!! 早く結婚して可愛い子供が欲しい!! 幸せな家庭を築きたい!! お金も欲しい、それからそれから、あれもこれも・・・!!!!」という方がいらっしゃるのですが、それより先に、まずあなた自身の足元を見て ❗ って言いたくなる時があるんです。

高い所ばっかり見ていては、自分の足元にあるたくさんの小さな幸せに気づくことはできません。 足元を見たらたくさんの小さな幸せをいっぱい持っているというのに、それには気づかず、高い所のにある手の届きにくいものばかりを欲しがっていては、「あれも手に入らない、これも無理 :ase: どうして私はこんなに不幸なの??? :sad2: 」って気持ちになっちゃうのもそりゃ当然ってものです :ooo:

「Ayaさんありがとう :nikoniko: ブレスが来てから、とってもいいことが起こります :kirakira: 」ってお知らせをくださる方は、どんなに小さなラッキーでも、どんなに可愛らしいハッピーでも、見逃さず全てキャッチしたり感じてくださったりしているものなんです :happy:

また、「早く結婚したいのに~~~ :iyaiya: ❗ 」という方で、お話しを伺ってみたら、「掃除はキライ ❗ 料理は苦手 ❗ 片付けなんて苦手中の苦手 ❗ 」って方もいらっしゃるもので、ちょっと待った 😯 まずそこを克服する努力から始めるべきなのでは???って、思わず心配になってしまいます :nageyari: 、まず先に、苦手なそういうことをある程度克服して、自信をつけることのほうが、夢の実現の近道に思えるんですよ :kirakira: もちろん、掃除・洗濯・お料理などの家事全般に限らず、手に入れたいものがあるのなら、それを手に入れる方法を考えて、実践しなくては… :smile1:

千里の道も一歩からって言いますが、出発点でじっと動かず何もせずに、はるかかなたのゴールにいきなり着きたいと言っても、そりゃ無理ってもんです。 まず初めの一歩を踏み出して、それから2歩、3歩と一歩一歩進む努力をしないことには、ゴールにたどり着くことはできないのです。 

そう考えたら、「自分の足元を見る」っていうのは、いろんな意味あいを含んでいて、とっても深いな~と思うのです。 「他人のことをあれこれ言う前に、まずは自分をしっかりと顧みろ」という意味。 「努力もせずして理想ばかり追い求めず、自分の足元に目を向け、すでに恵まれているものにしっかり感謝をしなさい。」という意味、それから「靴をきちんとそろえましょう」という意味合いは、全てのことを雑にせず、基本的なことから常に丁寧に心を配るようにしなさいという教えでもありますよね。

いろんな意味合いから、常に心がけておかなきゃなって思った『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』…そういえば、人の弱みに付け込むことも、「足元を見る」っていますが、この言葉は、履いてる靴(足元)でその人自体が判断されちゃうっていう意味でも使われていますよね。 確かにデキるいいオトコって、必ず足元にまできちんと気を遣っているし、必ずと言っていいほどいいを靴履いてるもんです(笑) もちろん、いい女もね :happy: :heart:

「足元を固める」という言葉は、まず自分の基盤からしっかり整え、弱点を克服したり、準備万端に用意をするっていう意味だけど、夢を叶えるためには、まず自分の足元をしっかりと見つめ、ここからきちんと整えなくては無理なんだ…改めてそんなことを考えさせられた言葉でした。

『自分の家を​きちんとし、周囲を整え、姿を正し、心を定め、すべてを片付けて​からこれから何をすべきか考えたい。』…是非私も心がけよう :smile3: ❗

それでは素敵な一週間になりますように :nikoniko: 今日の応援もよろしくね :smile2: :heart2:

ミラクルパワーチャームのオーダー受付中です :smile3: ブレスにしたら、こんなカンジになるのよ :smile2:

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