ウワサ話し

守破離(しゅはり)

バレエ系YouTuberのヤマカイさんが、休止なさっていたYouTubeチャンネルを再開されたとのこと。

他人さまのことながら、今回の炎上騒動は(言葉を選ばずに申し上げれば)、何だかヤマカイさん側が、一方的に因縁をつけられたんじゃない?って風に感じてしまっていたので(語彙が貧困なもので、こんな表現しかできずすみません!)

動画配信を再開なさったということに、勝手に1人で安堵しております。

この騒動では、炎上の当初から、ヤマカイさんは、相手のユーチューバーさんに対しての、批判や攻撃をしないようにと呼びかけていらしゃいましたね。

それに、再開のタイミングでは、活動休止の理由を、あくまでもご自身のメンタルの問題だと説明なさるなど、一貫して相手を責めないスタンスを守っておられ、すごくご立派だなあと感心しておりました。

いったん収束に向かったことで、今更話題にするというのアレですし、全くの部外者な立場で、無責任なことを語るわけにはいきませんけど、私が感じたこととして少しだけ・・・。

今回の相手の方は、ご自身でも言っておられる通り、まだ19才。 当然ながら、人生をまだ、ほんの19年しか過ごしておられない男の子さんなんですね。

中学生の頃にバレエで海外に留学なさり、その後は海外のバレエ団に入団された方らしいので、いわばバレエの純粋培養タイプの方だといえるのではないかと。

ですので、バレエに関しては、特定観念にとらわれざるを得ない環境にいらっしゃるのかもしれないし、閉じた世界の中から、針の穴を通して外をご覧になっていらっしゃるような状態なのかもしれない。

一方、ヤマカイさんという方は、中高は、超一流の進学校で学ばれた方だと聞きますから、すごくお勉強も頑張られた方だと思うし、中高生の間は、いったんバレエを離れ、バスケやテニスなどのスポーツにもハマっておられたらしいですから、バレエ以外の世界もご存知なのかなと。

そういう意味では、バレエ以外の視点からも、物事をご覧になれるのかもしれない。 少なくとも、バレエとは無縁の方々との関わりも、たくさんお持ちかなのかな、と思うのです。

「守破離(しゅはり)」

という言葉があります。

千利休の教えを和歌にしてまとめてある「利休道歌 (りきゅうどうか) 」の中に、

「規矩作法(きくさほう) 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」

という歌があって、「守破離」の三文字は、ここから引用されたものらしいのですね。

ちなみに規矩(きく)というのは、ここでは「決まりごと」というような意味として使われているのだそう。

守破離とは、

基本に忠実に学び、しっかりと会得して「守れる」ようになったら、次は広い視点で発展させ、型を「破って」ゆき、さらにそこから独自の新しい型を生み出すことで、師匠から「離れる」という流れといった感じでしょうか。

これは、一般的に、日本の茶道や武道などの、「道」のつくものの、修行のプロセスを示したものです。

ただ、利休道歌の中では、この「守」である基本をしっかりと身につけたうえで、破り、離れたとしても、基本自体は決して忘れてはいけない、と説いているわけです。

少し話は変わりますが、もうずっと以前のことです。

歌舞伎界の革命児と呼ばれた、三代目市川猿之助さん(現 猿翁さん)の「スーパー歌舞伎」の初演が、世間で非常に話題になった時に、まだほんのひよっ子だった私が、生意気にもこう言ったことがありました。

「歌舞伎って、日本の伝統を守ってるところがいいんでしょ。わざわざ現代的になんて、する必要ないのに」

亡くなった祖母は、歌舞伎にとても詳しかった人なのですが、その時の私にこんなことを話してくれました。

「猿之助さんに古典をやらしたらね、そりゃあ素晴らしいんよ。目線から指先まで、きりっと決まるところなんかは、それは見事よ」

その時に、私は自分の無知をとても恥じました。 

そして、基本がしっかりとできているからこそ、素晴らしいアレンジが可能なんだなあということを理解したんです。

話を戻して・・・19才の男の子の彼は、今、守破離の「守」のスタンスにいるのかもしれないなあという気がしました。

基本に忠実であること、基本を守ること、それらはある意味、古典に忠実であるということとイコールと言えるかもしれないし、古典の型からけして離れないというスタンスであると言えるかもしれません。

やがて「破」、そして「離」という流れを辿ってゆくことになったとして、それはあくまでも基本の型がしっかりと体の軸にあれば、けして本来の型を汚したり、冒涜することにはならないという気がします。

「真実は人の数だけあるんですよ」

というセリフは、今、話題になっている『ミステリと言う勿れ』というドラマのセリフで、原作の中にも同じセリフがあるみたいなんですが、私も本当に、この言葉には激しく同意しちゃうんです。

「自分は正しいことしか言わない」というのが口癖の人を、私は何人か知っているのだけども、私の中では「非常に残念なタイプの人」としてカテゴライズされている方々です。

本当に、こういう考えって残念だと思います。

そして、こういうタイプの人と関わった人たちは、やがて必ず、静かに関わりを絶っていってしまうもの。

だから、「自分は正しいことしか言わないのだ」と信じている人には、本当に信頼できる人や、頼りにできる人が、周りにいないものです。

そして、当然ですが、親友だと名乗ってくれる人だって、誰1人いないものなのです。

自分にとって正しいことや正義だと思えることだけが、たった一つの真実ではない、ということの方が、世の中には多いのではないかと私は思っています。

真実って、まさに人の数だけ存在するもので、正解だって、正義だって、人の視点や立場によって、いろんな形が存在するのではないかしら。

同じ人の中でも成長過程によって変わるし、今の環境やスタンスによっても変わってゆくものだと思うんですよ。

博多の老舗のお菓子屋さんが、12年に一度販売なさる「とら焼き」

昨年暮れから今年の1月まで、期間限定、数量限定で作られたこのお菓子のパッケージは、江戸時代に、博多のお寺で、たくさんの素晴らしい絵を残して下さった仙厓和尚さんの「虎」の絵です。

ゆるキャラ的な、ユーモラスな虎さんがとても可愛い。

遅い時間にお店に行くと、すでにその日の分は売り切れていたり、早めに行ってみても、欲しい数だけ揃わなかったして、大好きな方に、少しだけお届けさせていただきました。

「型にとらわれない」とは、とても自由でのびやかに聞こえるけども、基本の型がしっかりと身についていないと、所詮は「かた無し」だということなのです。

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