ウワサ話し

嫌よ嫌よも好きのうち

半沢次長はおっしゃいました。

「勝ち組 負け組という言葉がある。私はこの言葉が大嫌いだ」

まさに次長の仰る通り、私もこの言葉が、昔からどうも苦手です。

もちろん人を、勝者と敗者の真っ二つに分けることが必要なシーンはたくさんあるので、それ自体は全く否定はしませんし、大事なことだと思います。

でも、別に競う必要のない場でも、ものごとをいちいち勝ちや負けの基準にあてはめて、自分のモチベーションを保とうとする人っていますよね。 

おそらく私の場合は、その方針を自分の中に持っていないと言うことなのかなと思うんですが、そういう意味では、「やられたらやり返す」という発想も、どちらかというと苦手かも。 

根性ナシ‼…と言われれば、それまでなんですが(笑) 

そういえば、子供のころから「大嫌いだ‼」と思っている言葉があるんですよ。

「嫌よ嫌よも好きのうち」

これなんですよ、これ。 

そもそも、こんな言葉があるから世の中の男女の間に混乱が生じると思うのです。 ちなみに、この言葉は「ことわざ」ではないらしい。 あくまでも、「俗語」なのだそうです。

俗語だろうと何だろうと、一般的に浸透しているこんな言葉があるからじゃなかろうか、セクハラに対して、「それくらいのことで~‼」なんて言い出しちゃう人がいる。

こういう言葉があるから「ホントは嬉しいくせに~♡」なんていう、自分勝手な解釈につながっちゃうんじゃなかろうか。 

だから私はこの言葉が昔から大嫌いなのよ。

嫌がっているのに、冗談で済まされたり、嫌がること自体を面白がられたりして、「NO‼」が軽視されてしまう。

私が、昔からあまりテレビが好きではないのは、こういうことにも理由があるかも。 

当然ある程度は番組上のいわゆる「やらせ」なのだろうけど、嫌がるタレントに執拗に何かをしたり、何かを強要したりして、嫌がる様子を面白がるという内容の番組って、昔からあるではないですか。

私は昔から、あのての番組とか、人を驚かせて面白がる「どっきり系」の番組が少しも楽しくなくて、むしろ不快感を持ってしまうのです。 

真面目なことを言うようで申し訳ないのだけど、そもそもあんなふうに「No‼」が軽視されることが、いじめやセクハラがスルーされたり、軽く考えられてしまう原因にもなりがちな気がするんですけど。 

強行する側の意思が優勢で、嫌がる側の意思が軽視されてしまう。 

単純に考えてもおかしくないでしょうか、これって。

前々から、そんなふうに思っていたところ、偶然にもこんな記事を見つけて、すっごく納得したんですよね。 

「小学2年生の息子が遊んでいる時、女の子に抱きついて嫌がられました。先生に叱られてもピンときていないようです。どう教えればいいのでしょうか」

あるテレビ番組の内容をテーマにしたネット記事です。

親のくすぐりが恐怖だった人も…「一度の“やめて”でやめて」

出演した産婦人科医の高橋幸子さんは、「『相手が嫌がることをしてはいけない、相手を大切にすると、自分も大切にしてもらえる』ということをきちんと教えてあげてほしい」「相手が望まないことをしないというのが思春期以降の性的同意という話につながってきます」などとアドバイスした。

これに対し、SHELLYさんは次のように述べた。

「ここの教育は私もすごい大事にしていて、やめては絶対に2回言わせないっていうのを言っています。やめてって一回言われたらやめるんだよって子どもにも教えていますし、娘たちにはあなたのNOには力があるんだよっていうことを教えるため」

「例えば大人がくすぐったりするじゃないですか。こしょこしょってしてやめてって言われたら、絶対やめています。やめてって言っても大人はやめてくれないんだって思ったら、自分のNOには力がないと思わせてしまう」

投稿した30代の女性が、ハフポスト日本版の取材に応じた。SHELLYさんの発言に対し「親にこの考えを持って育ててほしかった」と打ち明ける。

「私はくすぐられるのが本当に嫌いな子どもだったのに、親はコミュニケーションの一つとしてくすぐっていたのだと思います。やめてと伝えているのに、くすぐったいから笑ってしまう。親は喜んでると勘違いしてやめてくれませんでした。拒否しても続ける親に恐怖も感じました」

・・・この記事に目を通していて、私まで、ちょっとした恐怖を感じました。

そもそも、相手が嫌がっていることを尊重できないことの原因は何なのか。

それは、相手の「NO!」に対する重さの捉え方に問題があるのではないかしらん。

幸いなことに、私は自分の親から、くすぐりをやめてもらえず恐怖を感じた経験とか、「やめて」が通じなくてトラウマになったと言う経験がないので、これは本当に親に感謝すべきことなんだと思ったのですが、結局、人の意識を作るのは、日常の身近な些細な出来事なんだと改めて感じちゃいましたよね。

子供同士の遊びの中でも、相手が嫌がると余計に面白がる子がいるけれど、それはいじめに対しても「単なる遊びの延長」で片づけられてしまいがちな要因になっている気がするんですよ。

以前、連続レイプ犯が、逮捕後の取り調べに対して、「相手も喜んでいると思っていた」と言ったという記事を何かで目にしたときに、思わず怒りに震えたことがあったのだけど、結局こういうことなんだと思うんです。

だからこういうことを軽視すべきではないし、スルーしちゃだめだ。

「嫌よ嫌よも好きのうち」 

私は、この言葉にはやがて、世間から忘れ去られて行って欲しいものだと思う。 結構ホンキでそう思う。

河沿いの、とある素敵なバーで。

「初恋の人に似てるから」

近くにお一人で座っていらした見知らぬ殿方が、そう言って立ち去っていかれた。 なんと、お会計を済ませてくださっていた。

ありがとう、初恋の人。 ありがとう、見知らぬ殿方。

このご恩は忘れません。

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