私が子供だった頃、父方の祖母の家のお勝手口には、毎朝きまって6時頃に、茶色のわんこが座っていました。
子供の頃、うちではペットを飼うことを絶対に母が許してくれなかったので、祖母の家に遊びに行ったときには、毎朝そのわんこに会うのを、私はとても楽しみにしていたのでした。
祖母は、わんこのこともきちんと「さん付け」で呼ぶような人で、祖母が「くまさん」と呼んでいたそのこは、お向かいのお宅で飼われていた茶色の雑種犬でした。
毎朝お向かいのお宅から、トコトコやって来るくまさんは、きっと、ご近所のパトロールを日課にしていたのでしょう。
そして、祖母の家で朝食を済ませると、またトコトコとお家に帰ってゆくのです。
とても利口で優しいわんこでしたが、あの頃は、首輪を付けているとはいえ、リードのない犬が一人(いや、一匹か)で歩いていても、ご近所からは何の苦情も出なかった良い時代でした。
昔は生き物に対してとてもおおらかだったのですね。
くまさんが朝食をもらう代わりというわけではないのでしょうが、くまさんのお家のおじいさんは、祖母の家にちょっとした男手が必要な時に、いつも手を貸してくださったようです。
昔はそんな風な、良い感じのご近所づきあいが、持ちつ持たれつで行われていたのですね。
「さあ、おあがり」
祖母はいつもそう言って、きちんと前足を揃えて大人しく座っているくまさんに、お皿を差し出していました。
祖母は、立ち居振る舞いのとても美しい人でした。 特に手元の動きの優雅さは、今思い出しても、自分のがさつさを恥じ入るばかり…。
生涯、お茶のお稽古を続けていたことや、小さなころからずっと日舞をやっていたせいなのか、祖母は和服でない時でも、立ち座りや、ちょっとしたしぐさの流れるような柔らかさがとても美しく、なのに動作には一切の無駄がなくて、いつもテキパキ、キビキビと動く人でした。
私はてっきり、女性は年を重ねれば自然に、あんな美しい身のこなしができるようになるものだと思っていました。
でも違ったよね(苦笑)
品のある身のこなしって、一朝一夕に簡単に身につくようなものではなくて、長い時間を時間をかけて、意識して身に着けてゆくものなのですね。
だからせめて・・・我が家の庭に住み着いている猫の「くろちゃん」には、毎朝夕、祖母のように「おあがり」と言って、キャットフードの入ったお皿を差し出します。
武士道では「形から入って心に至る」といわれます。
武道だけでなく、茶道や華道など、「道」のつくものはすべて、礼に始まり礼に終わります。 ひたすら形を身に着けてゆくうちに、いつか心に至り、その人自身の体の芯に馴染んでゆくものなのでしょうね。
父の仕事の都合で、私たち家族はずっと、父方、母方のいずれの実家とも離れて暮らしていましたから、私はどちらの祖母とも、夏休みや冬休みの間のわずかな期間しか共に過ごした経験がありません。
いずれにしても、どちらの祖母も、孫を甘やかすタイプの人ではなく、むしろ躾にはとても厳しい人でした。
今になって思えば、どちらの祖母からも、学ぶべきことがもっとたくさんあったはずなのにと、残念な気がします。
母方の祖母は、旧家の生まれで、祖母の母親(私の曾祖母)は嫁いでくる時に、実家から女中をたしか3人ほど連れてきたと聞いたことがあります。
嫁ぎ先は嫁ぎ先で、女中さん方がいましたから、その人たちみんな束ね、家をしっかりと切り盛りした人だったようです。
昔はそのように、女中奉公に出された他所のお宅の女の子を預かって育て、親御さんの代わりに様々な躾や教育をして、お嫁に出すまでの面倒をみていた家があったのですね。
母の育った昭和の時代でも、母が幼いころには、家に子守をしてくれていた若い女性がいて、自分たちの身の回りの世話をしてくれていた記憶があるそうですから、その時代までは、住み込みで家の手伝いをしてくれた女性がいたみたいです。
強いものが弱い者を守る。 大きいものが小さなものを守る。 お互いが助け合うこと。 それらは、とても自然で当たり前のことだと思うのです。
先日、幼子をたった一人で部屋に残したまま、好きな男性に会いに行っていた母親が、我が子を餓死させてしまうというショッキングな報道がありました。
こういう話を聞くたびに、大人として、なんともやるせない気持ちになりますね。
子供の頃、夏休みのひと月はとても長く感じたように、幼い頃の一日は、大人になっての一日の体感時間とは全く違います。
たった3才の幼い子が、たった独りで母親の帰りを待ち続けた8日間、その1日1日の時間は、どれほど長くて、淋しく辛かったことかと思うと、あまりに不憫で。
このような報道があるたびに必ず、「人として最低だ」「子供を殺すような親は死刑にしろ」というような意見が飛び交ったりして、それにもまた、私はつらい気持ちになるのです。
環境が、人の心や行動を作るものです。
誰もが自分の基準で物事を考えてしまうけれど、想像もつかない環境に育った人には、その人なりの考え方の基準が作られていて、その基準は当然、違う環境で育った人には想像もつかない思考や行動につながったりするものでしょう。
我が子を餓死させ、逮捕された母親もまた、子供の頃に両親からひどい虐待を受けていたという報道があります。
だから仕方ないと言いたいわけではないのです。
そうではなく、自分の知らないことは誰だって、想像しようもないものです。
まともな形…という表現はけして適切ではないでしょうが、少なくとも、子供が与えられるべきな必要な愛情を得られずに育った子供は、欠けてたものを埋めようとするものです。
愛は誰にとっても必要なものですから
そういう人が愛をもとめたことで、妊娠、そして出産する。 そのことが更に不幸の連鎖を呼ぶ。
いびつな形で巡っていってしまうその流れを、今の時代の社会の中で、修正する方法は何かないものでしょうか。
以前、チョーク作家のItaeya様が描いてくださったくろちゃんの絵本をご紹介します。
クロちゃんの笑顔を本当に可愛らしく素敵に描いてくださっていて、何度眺めても幸せな気分になります。 是非ご覧くださいませ♡
今日もご覧下さってありがとうございます。
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