カウンセリング・心理学

早朝に女性が訪ねてきたときは…。

今朝は早朝に、思いがけず、本当にびっくりしてしまうメールが届きました。 びっくりして途端に目がぱっちりと覚めました。 そして、「今日は一日特別にバタバタしたり、アクシデントが舞い込んできそうだ」という予感がして、自然と気持ちがギュっと引き締まりました。

昔の人は、「早朝から女性の来客があった日は、一日なにかと慌ただしくなる。」と言ったものだそうです。 この時代だから、あえて朝からよそのお宅を訪ねる人ってあまりいないけれど、だからその代りというか、我が家に早朝から思いがけず、思いがけない方からの電話がかかってきた日は、その電話の相手が女性であれば、私は母に「今日は一日忙しいよ~。」と言うんです。 そして、それはたいてい当たります。

あ、でもこれはあくまで、それが良い報せとか悪い報せとかには全く関係なし、ってことですよ。 

ただね、「久しぶり~、急にあなたのこと思い出したら声が聞きたくなって~!」とかいう内容で、わざわざ早朝から連絡してくる人はあまりいないし、急がない用事や、ちょっとした確認事項や頼みごとで、わざわざ早朝を狙う人はまずいない。 ってことで、このあたりが何とも微妙なところなわけです。

最近は電話よりもメール。 毎日、いろんな方からのメールを頂く私だけど、その中のほとんどの方が女性です。 でも、今朝のように、思いがけない「女性」から、思いがけず「早朝」に、思いがけないメールが飛び込んできた日は、私は「おおお、今日はいつもとは違う日になりそうだ。」と、ちょっとした覚悟を決めるんです。

さて、「良い報せとか悪い報せとかには全く関係なし」って言いましたが、今朝のメールに関しては…。 残念なことに、とても良い報せとはいえないものでした…。

それは、「あやさん、突然ですが私、詐欺にあって、このたび〇〇を手放すことになりました。 見事に騙されてしまいました。 かなりのダメージを受けましたが、これも全て自己責任。 人を責めず反省して前に進んでいきます。」というものです…。

すっごいショックでした。 そんなことになっているなんて、まったく知らなかったから…。

ただ…「早く忘れて復活する、断ち切って再生する、前に進む!」 という彼女の言葉から、気持ちを切り替えて、すでに立ち直ろうとしてくれているという、しっかりとした強さを感じて、私のほうが何だか少し救われた思いがしたのでした。

彼女が今回のことで、きっと身を切られるような思いで手放す決断をせざるを得なかったものは、彼女にとっては自分の分身といえるほど、思い入れのあった大切なものでした。 それを知っているだけに、どれほど悔しかっただろう、どれほど悲しかっただろうと彼女の気持ちを思うと、私までたまらない気持ちになります。

わざわざ私に知らせてくれたのは、少なくとも、私が彼女にとってのクライアントの一人だからだと思います。 ただ、私にとっては単なる「お付き合い」でお客になってるというわけではなくて、彼女の人間性や知識や技術を評価してのことでした。

「生まれつき悪い人はいないよ」とか、「人は変われるんだよ」とかって、軽く言う人がいるけれど、確かに、生まれ落ちた瞬間からの悪人や、本人がどれほど更生したいと願っても、どうしても人を苦しめたり困らせることをやめられないというような、根っからの極悪人として一生を終える人は、いないのかもしれません。

つまりは、本人の心がけと行動力次第だと思います。 

でも、まるで人を諭すように、「生まれつき悪い人はいないよ」とか、「人は変われるんだよ」とかって言う人って、本当に他人に死ぬほど苦しめられたり、辛い目にあわされたりしたことのない、そこそこ平和な人生しか知らない人なのではないかしら…と思ってしまう事があるんです。

だって世の中には実際に、こんなふうに人をだましたり、ひどい目に合わせたりするヤツがいる…。 その人の本質がどうであれ、それはあきらかな事実なんです。

それなのに、「生まれつき悪い人はいないから」とか、「どんなに悪い人でも人は変われるから」なんて聞くとね、「だったら、苦しめられた人の立場はどうなるの?」 と、人間的に未熟な私は思っちゃうんですよね~…。

あまりに突然の思いがけない報告に、ただショックで何も気の利いた言葉をかけてあげることが出来ず、自分の不甲斐なさが歯がゆかったのですが…。 他人を苦しめたり、ひどい目に合わせるようなヤツが幸せになれるはずがないんです。

最終的には必ず、自分の身にもどるはずです。 少なくとも、なにかとても嫌な思いをした時には、私はいつもそう思って自分を励ましています。 

聖書の中に、『人を裁いたり、復讐するのをやめなさい。 それはあなたの仕事ではない。 神の仕事です。』という言葉があるのだそうです。 それを知ってから、私は「許せない」と思うことがあった時には、必ずこの言葉を思い出すんです。

このブログで、このお話しをするのは、もう3回目になると思います。 私が生また時にはすでにこの世にはいなかった人ですが、私の曾祖母はクリスチャンでした。 私の家は神道ですから、私にとっては聖書は特に身近なものではありませんでしたが、ある時、聖書の中に、私の胸にこれほど響く言葉があると知った時、これはもしかしたら曾祖母から私への、優しいメッセージではないかという気がしたのです。

「人を恨んだり憎んだりするのは、あなたにとって重たい荷物でしょう? そんな苦しくて辛いことはしなくてよいのですよ、神さまにまかせましょう。 重たいその荷物は、代わりに神さまが持ってくれますよ。 そうすればあなたの心は軽くなって幸せになれますからね。」

私の心の中には、そんな意味合いとして、す~っとしみ込んできた言葉です。 

ある時、クリスチャンの友人夫妻に、その話をしたことがあるんです。 

以前、私のブログをいつも読んでくださっているクライアントの方から、「私の身近に、人に対して、すごくひどいことをしている人がいるのですけど、彩さんはブログに、人は人が裁くべきではない、それは神がすることだから、って書いてましたよね。 だったら私はその人のことを、自分の気持ちの中でどんなふうにおさめたらいいのでしょうか?」と質問されたことがありました。

その時に私は、「そんな大変な仕事をあなたがやらなくてもいいんですよ、神さまがかわりにやってくれますからねっていう意味だと私は思っていたので、そんなふうにクライアントにお話ししたのだけれど…。 そんな解釈で間違ってなかったのかしら? 」と、クリスチャンの友人夫妻に尋ねたんです。

すると、彼らは言いました。 「彩さん、その通りだよ。 聖書の中には、かならずその人にピッタリのメッセージがあるって言われてるの。 彩さんにとってのメッセージは、きっとその言葉なんだね。」って。

「ああ良かった、やっぱりそうだったのか。 ありがたいな…。」って、その時、不思議と違和感なく、すんなりとそう思えました。 

私は人としてまだまだ未熟で、他人に対しての不満やら、いろんな感情が、ちょっとした疲労感に似た感情と共に、だんだんと蓄積されて、時々、その気持ちをどうなだめたら自分が楽になるものかと、モヤモヤとしてしまうことがあるのです。

「腹立つなあ!もうっ!!」と、時にはぐっと怒りが込み上げてくることだってある…。

世の中には理不尽なことがたくさんあるのです。 自分ばっかりが損をしているように思えて、へこたれそうなときだってあるわけです。

未熟で、人を恨んだり、憎んだり、つまり心の中で「人を裁いてしまう」ことのある私だからこそ、自分にとってのメッセージはこの言葉なのかもしれない…そう思えます。 だから私は、自分の中で日ごろのいろんな我慢やらストレスが、モヤモヤと溜まってきたら、いつもこの言葉を思い出すようにしています。

そして、今朝早くに私にメールをくれた彼女にも、同じ言葉を贈りたいなって思いました。

『あなたはもう、これ以上重たい荷物を持たなくていい。』

つらい思いをした分、これからはいっぱい幸せになってほしいな。

今日の応援も、どうぞよろしくお願いします。 

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