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年忌祭

昨日は祖母の年忌祭でした :smile1: 仏教で「法事」にあたるものですが、神道では「お祭り」という言い方をするんです :smile3: 仏式では、自宅にお坊さんに来ていただいてお経をあげていただくわけですが、神道で法事にあたる「年忌祭」は、神主さんに来ていただいて祝詞(のりと)をあげてもらいます :smile1:

祭壇を用意して、榊(さかき)とお酒とお野菜に果物、それから昆布やスルメなどの乾物に、お菓子、そして故人の好きだった物などを供えます。 祖母が他界したのは、年の瀬の押し迫った12月の末だったのですが、たまたまこの暮れには家族や親戚の都合が上手く合わず、今年の年季祭は年が明けてからとり行うことにしたのです :smile1:

事前に神社に連絡をして年忌祭のお願いをして、親戚との日程の調整を行い、当日自宅近くの駅まで迎えに行く際に、ピックアップする場所まで迷わずスムースに来れるように、地下鉄の所要時間や改札を抜けてからの詳しいルートを、メールで細かく知らせておくことや、自宅の和室を整えお供え物を揃えるなど、何かとこまごました準備はすべて私が担当していましたから、特にここ数日は、頂いたメールのご返信なども含めて、自分のやりたいこともこなそうとすると、とにかく時間が足りず、毎晩気が付けばもう夜が明け始めている…という日が続いていました :nageyari:

こういった家の行事を、単なる形式的なものだからと、あまり重要視していない方もいらっしゃるようですが、確かに人によって考え方は様々ですし、生前の故人との関わり方も影響してくるものだと思います。 何しろすでにこの世には存在しない人のためのものだから、してもしなくても大勢に影響はないものかもしれません。 ただ、私の中ではとても大切にしたいことです。

ほんの数十分で終わる行事だとはいえ、きちんと喪服に身を包むことにしても、固い表現をすれば、故人を尊ぶ礼節という意味合いなのでしょうが、もっと簡単に言うならば、それはただ、故人や家族にたいする「思いやり」の気持ちだと思うのです :smile1:

毎日顔を合わせる家族でも、「おはよう :nikoniko: 」「おやすみ :smile3: 」「ありがとう :happy: 」の言葉をかけ合うことがとても大切なように、そんな儀礼的なことに心をつくし、丁寧に執り行うこと…それは、先祖に感謝するという意味合いだけでなく、今世を生きている私たちが、毎日の日常の中で姿勢を正し、いろんなことに感謝の気持ちを持つことを改めて意識させられる、とてもよい機会を与えられている様な気がします。 そして、それが故人からのプレゼントのように思えるんです。

少し前のことになりますが、知人のお母様が急にお亡くなりになったということがありました。 たまたまそのことを知ったのが、すでにお葬儀も四十九日も済まされた後だったこともあり、友人と一緒にご自宅にお参りにうかがうことになりました。 「難しいことはいいからさ、気軽に遊びに来てよ :smile3: 」と気を使ってくれた知人の心遣いを汲んで、私はあえて、堅苦しく正式な喪服を着ていかないことにしたのですが、亡くなったお母様やご家族への礼を示す意味で、濃いグレーのシンプルなワンピースに黒のジャケットを着て行くことにしました。

当日、一緒に行こうと約束をしていた友人が、待ち合わせの場所に現れた時の服装をみて、私は愕然としてしまいました 😯 華やかな色合いのカジュアルなシャツに皺だらけのコットンの7分丈のパンツ、そして足元は素足にサンダルです… :poke-: :ooo:

身なりを整えるという姿勢は、自分のためだけでなく、お会いする相手のことを尊重する丁寧な心遣いだと私は思っています。 お洒落をすることに対して、自分の体裁を保ち、見てくれ良くして恰好をつけることだという考えは、他人に対して愛情のない、とても淋しい考えだと思うんです。 かといって、おしゃれは「自分が良いと思えばどんな格好をしたっていいではないか :su2: 」とか、「目立ちさえすれば満足 😆 ❗ 」という発想は、とても自己中心的な考えのように思えてしまいます。

お葬式に出かけるわけではないにしても、大切なご家族を亡くされてまだ日も浅い知人のお宅に伺って、お仏壇に手を合わさせていただくのに、あまりにも気軽な普段着でひょいと出かけてくるような姿勢は、亡くなったお母様に対して礼を失する態度に思えたし、その家族である知人に対しても、あまりに思いやりに欠ける態度に思えました。

人間関係は、すべて言葉と態度によって良くも悪くもなるものだと私は思っています。 言葉でどれほどの気の利いたセリフを並べ立てたところで、態度が伴っていなければ、結局うわべだけだということがあっさり見抜かれてしまうものです。 かといって、どれほど心からの誠意を示したくても、ふさわしい言葉で気持ちを伝えることができなければ、誤解をされてしまうことだってある… :ooo:

誰だって、自分の気持ちを知ってもらいたいからといって、自分の胸を切り開いて、実際に心の中を見てもらうことなんてできないわけだから、できる限りの真心をこめて、言葉と態度で気持ちを表すことが大切なのではないかと思うのです。

さて、神主さんに祝詞をあげていただいて、年忌祭を終えた後は、法事でお斎(とき)にあたる、会食をするわけですが、私はこれもとても大切なことだと考えています。 お経や祝詞をあげていただくことは、ある意味大切なリチュアル(儀式)で、私には故人の言葉は聞こえてきませんが、きっと喜んでくれたと思っています :smile1:

でも、同じくらい大切なのが、そのあとに家族や親戚が集って、和やかに食事をしながら、故人の思い出を語り合ったり、楽しかったいろんな話をすること…そうやって故人を偲ぶことで、確かにその人と今世を過ごしてきたことをお互いが感じあい、改めて感謝できるような気がします。 そして、それこそが故人が一番喜んでくれることではないかという気がします。

昨日来てくれた祖母の甥にあたる親戚は、昨日を祖母のために一日空けてくれていました。 時期的に特に忙しい時なのに、まる一日の時間を空けてくれていたのは、やはりそうすることできっと祖母が喜ぶと、彼も思っていてくれたからだと思います :smile1: 身内の中でも祖母が特にかわいがっていた彼は、祖母の葬儀の時、本当につらそうに身を震わせて泣きました。 

昨晩一緒にお酒を飲みながら、いろんな話をしていたら、急に彼がぽつりと言いました。 「結局、ありがとう、忘れないよ :smile1: っていう気持ちが大事なんだよね :hehehe: 」 と :smile1: あの世へ旅立った人からのメッセージを私は聞き取ることはできないけれど、形式的な儀式はそれはそれで、きっととても大切な意味があること :smile1: そしてこうして身内が集まって語らいあうことも、故人への供養となること…もっとシンプルに、大切な家族に対する思いやりの心や、感謝の気持ちを示すということではないかと私は思っています。

どこのご家庭でも、「みんな忙しいから、こういった機会でもないとなかなか顔を合わさない… :smile1: 」というこの時代だからこそ、こういう行事ってとても意味があることのような気がします。 故人を偲んで語り合い、「ありがとう、忘れないよ :smile1: 」って思う気持ち…。 改めていろんなことに感謝の気持ちがわいてきた私なのでした :smile2: :heart:

すみませんが、今日もぽちっとして頂けませんか… 😳 :kirakira: 感謝 :nikoniko: ❗

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