第2陣のハトさんが、元気よく飛び立ちました 大2陣として出発したハトさん達がそれぞれ目指している、新しいオーナーさんは、3月21日にチャリティーにお申し込み下さった方で、すでにお振り込みが完了なさっている方です
どうぞ、楽しみにお待ちくださいね
さてさて、実はどうやら、私のPCでのメールの送受信に不具合が起きているようです。 一時的にメールが集中することが原因なのか、せっかくご連絡を下さったのに、こちらで上手く受信ができていない方がいらっしゃるみたいなんです
せっかく私にご連絡をくださったのに、「まだ返事が届かない・・・ 」という方がもしいらっしゃいましたら、お手数ですがもう一度ご連絡を頂けませんでしょうか?
それから、14日の受付に際してご丁寧なご連絡を下さいました『 倉』さま、私からの返信はご覧頂けていますでしょうか? 御連絡がないので心配しています。 メールの不具合により、上手く連絡がとれていない可能性もありますので、もしご覧下さってましたら、もう一度ご連絡を下さいませ
というわけで、今日のお話しに・・・。
災害が起きたとき、避難生活を強いられる被災者の方々のニーズは、日に日に変化していくものだと聞きます。 災害から時間がたつにつれ、心のケアを必要とする人が増えてくる・・・それは当然のことですよね
阪神淡路大震災の時には、災害で高ぶった神経を落ち着かせたり、肉体的、精神的疲労を癒すのに、鍼やお灸がとっても活躍したのだそうです。
ってことは・・・これから鍼灸師さんや、整体の技術を持つ方々の活躍の場ですね たくさんの「ありがとう」の声が聞けるってステキ
大変なお仕事だと思うけど、頑張って是非たくさんの方達の心と体を楽にしてあげてほしいな~って思うのです。
避難所では、美容師さんや理容師さんたちも大活躍なさっているみたいです 災害から数日後の被災地を取材した映像で、「ハサミさえあれば、髪を切ってあげられるんだけど・・・ハサミも何もかも流れちゃったから
」とおっしゃっていた美容師さんがいらしたのを観て、思わずやるせない気持ちになったけど・・・きっと、じきハサミも届くはずですよね
たくさんの方の髪を切ってあげて、気持ちをさっぱりさせてあげてほしいな~って思います。
手をつけられないような状態だった地域にも、少しずつ重機が入り、瓦礫をどけて道を作り始めていると聞きました。
これからは、あらゆる専門分野の人たちが力を合わせて、いろんな面から応援をしてゆけますよね そう思うと、間接的であっても、私の得意分野の中で、もっと何かできることがあるかも知れない
と、沈んでいた自分の心の中に小さな灯りが見えたような気がしました。
災害から2週間が過ぎ、テレビも徐々に被害状況を伝え続けていたものから、通常の番組の時間が多くなってきた気がします。 だけど、自分が被害を受けていない立場であれば、はじめは熱心に見入っていた被害状況の番組より、だんだんと通常の番組に興味が移っていって、そのうち気持ちが離れていく人も多いような気がして・・・。
人のうわさも・・・とか、喉元過ぎれば・・・という諺があるけれど、災害が起きてすぐは誰の心にも大きな衝撃があるので、大勢の人たちの同情の気持ちがそこに集まるものですが、時間がたてば自分に直接関係がないことは、だんだん心の中から隅へ、隅へと追いやられ、やがてみんなから忘れられていってしまいそうです
でも私は、被害を受けた辛い立場の人たちが、まるで隔離されたかのように、だんだんと忘れられていくようなことは、けしてあってはならないと思うんです。
時間の経過とともに、被災者の方々のニーズはどんどん変化してゆきます。 状況が変化するんですもの、それは当然のことだと思うんです。 そのニーズに対応したサポートやフォローがきちんとできることが、私のように、今回たまたま被災していない立場の人間の義務であろうかと私は思っています。
これからが長い道のりですからね、遠くからでも私も一緒に歩いてゆけたらいいな
災害を知ってから、私とBeBeは今月の予定をほとんどキャンセルしました。 たまたま災害の数日前が誕生日だったので、お誕生会の予定もあったのですが、これに関しては無期限延期。 その他の予定に関しては、しばらくしてから改めて予定をくみ直し実施するつもりです。
ここ数日、何だか「自粛」と「買いだめ」が、まるでそれぞれの反対語を表しているような風潮になりつつあるような気がします。 でも、私は「自粛」って、物を買わないとか外食をしないとか、本来そんな単純な行動のことではないんじゃないかと思うんですよ。
何か起きた時って、とにかく人の人間性がはっきりわかるものだと私はいつも思います。 今回の災害に際しても、いろんな人の、いろんな人間性が見えるな~って感じます。
「自粛モード」への賛否両論に関して、そもそも「自粛」って何の為だ?って所にたちかえれば、簡単なことではないかと思うんです。
かのホリエモンは「一番やばいのは東京から人がいなくなって経済が回らなくなる事。自粛ムードで経済を停滞させること。ほんとはどんどん経済回さないといけない。なのに節約自粛だと本当に日本経済がクラッシュする。放射能よりも怖いのはそっちだ」と指南し、あるITジャーナリストは「まあ私は今後も不謹慎なことを言い続けます。これから青山に出かけてブラブラ散歩して、そのあと西麻布でイタリアンだ! いいワインをあけよう!」とツイートしたといいます。
西麻布で食事を奮発したという氏には、非難の声も殺到したというけれど、私などが偉そうに意見したりする立場ではないんだけれど、これって表現の仕方に問題があったのでは?
と思うわけです。
こんな時だからこそ、人の気持ちを逆なでしたり、感情を泡立たせたりするような表現をすることは、私は思いやりに欠けるの行為だと思う。 被災者の方に対して・・・というだけでなく、人としてって意味で
でも、別に私がこの方を弁護するいわれはないんだけど、きっとこの方も「そんな意味」ではなかったのではないかと思うのです。 ただ、「被災してない立場なんだから沈んでたって仕方ないよ、俺らで盛り立てられるとこは盛り立てていかなきゃど~すんの
」そんな意味での景気づけであったように、私には思えるのね。
だけど誰だって、「いいワインあけよう
」≒「いいことあったぜ、パーっとお祝しよう
」とつながるものでしょう
だから「不謹慎だ
」と言われてしまうのは、いた仕方なかろうかと思うのです
誤解というのは言葉の言い回しひとつでいくらでも招いてしまうものです。 自分の伝えたいことを、他人に誤解を受けないよう表現をする心がけは、トラブルを防いだり、自分を守るだけでなく、何より人に対しての思いやりでもあると私は思います。
やたらと物を買わないとか、外食を楽しまないとかいう、つまり派手な行動や楽しいことを慎むというのは、大変な思いをしている人がいるのに、そんな時に自分ばっかり楽しいことやったり、自分にはいいことがあったからって嬉しがったりして見せるのは申し訳ないっていう心遣いの気持ちがあればこそですよね
そうは言っても、誰の気持ちも沈みがちな時だからこそ、そんな中でもちょっとした嬉しいことがあれば、それはとても有り難く、感謝して受けとめて、『自分の中では』大切にしてあげることが、むしろ必要だと思うのです。
だけど、「我が家ではこんな嬉しいことがありました~ 」 「今日はこんな素敵な出会いや、こんな楽しいことありました~
うふふ、感謝感謝~
」なんてことを、やたらと周囲に公表するのは、思いやりの気持ちとしてあえて控えるということ・・・これが人としての優しさってもんじゃないでしょうか
春ですもの、何かと身の回りに新しい出来事や変化がある時期です。 新しい環境に飛び込んでゆくのに、ドキドキ、ワクワクの人たちもたくさんいらっしゃることでしょう それはそれで素晴らしく、大いに期待に胸をふくらませるべきだと思うんですよ
そしてこの時期、新しい環境に飛び出してゆく子供さんのことは、親御さんはいっぱい応援して、励ましてあげるべきだと思います。 ただ、普段は関係ない人にもどんどん宣伝したくなるような嬉しいお祝い事ですが、でも、楽しみにしていたそんな行事が全て叶わなくなってしまった人もたくさんいるわけです
家族で楽しみにしていた春休みの予定は、けしてもう実現させられない・・・そんな人だってたくさんいるわけです・・・。
そんな人たちのことを思えば、今は、楽しいことや喜びはひそやかに、お身内だけでささやかにお祝いしたり、喜びあったりするだけで充分よねっていう気持ち・・・それが優しい心遣いではないのかしら・・・私にはそう思えるのです。
お誕生日会の無期限延期、家族旅行の自粛、鑑定自粛にワークショップやイベント参加への自粛・・・。
意地悪な言い方をすればただの自己満足なのかもしれませんが、思いやりという根本の心がけはどんな時も大切だと思います。
「我が家ではこんな嬉しいことがありました~ 」 「今日はこんな素敵な出会いや、こんな楽しいことありました~ うふふ、感謝感謝!こんな時だからこそ前向きに!!」
スピリチュアルを語りたがる人間がついつい陥る落とし穴。
どんな時も感謝と前向きという心がけは素敵ですがそれは時としてただのKYです。
あたしも気をつけよう。
BeBeさん
うん・・・周囲の人の気持ちも考えないで、いつでもどこでも「ハッピー
ラッキー
」はただのKYだよね・・・