好きな武将は?と訊かれたら、私はまず最初に太田道灌(おおたどうかん)の名をあげます。
このお方は、室町時代後期の武将で、江戸城を築城したことでも有名な方ですよね。
築城名人としてだけでなく、百戦百勝の戦上手と言われるほど、数々の戦を制した武将として、また知識人として盛名を馳せた父上に劣らぬ教養の高さを併せ持つ、まさに文武両道の多彩な武将なんですね。
さらに、歌人としての才能も素晴らしかったといわれる方です。
太田家は代々、扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の家宰(かさい)を務める家柄で、道灌は主君に忠義を尽くしながらも、その能力の高さを疎まれ、暗殺されてしまったのでした。
そもそもは、私の愛読書である、新渡戸稲造の「武士道」に、とても印象深いシーンで登場していることで、すっかりファンになってしまったわけなのですが、その武士道こそが
「文武両道の鍛錬を欠かさず、自分の命を以って徹底責任をとる」という武士の考え方を示したもの。
新渡戸稲造の「武士道」によると、道灌の歌人としての名声を知っていた刺客は、不意打ちで道灌を襲った際に、
「かかる時 さこそ命の 惜しからめ」(こんな時はさぞかし命が惜しいであろう)という上の句を詠んだところ、
道灌は致命傷を負いながらも毅然として、
「かねてなき身と 思ひ知らずば」(もとより我が身などないと思って生きてきた)と下の句を詠んだのだそうです。
ちょっとマジそれ、すごくない?? そんな時に、下の句なんて詠んでる場合じゃないってば‼︎
しかし、負けを認めぬ強がりを超越した、男らしさを極めたようなこの潔さ、あっぱれです。
そして、太田道灌は「当方滅亡」と言って世を去ったのだと言いますが、これは「私が死ねば扇谷上杉家も滅亡するだろう」という意味で、実際、その通り、扇谷上杉家は滅亡してしまったのでした。
話は代わりますが、その道灌にまつわる、とても有名な「山吹」という話があります。
若かりし道灌が、ある時鷹狩りに出掛けた際に、急なにわか雨に遭い、一軒の農家に立ち寄って、「蓑(みの)を借りたい」と頼みました。(レインコートを貸してもらえないか?と頼んだわけですね。)
すると、家の中から出てきた娘が、黙って山吹の枝を差し出したのだそうです。
「花を求むるにあらず」と立腹した道灌は、後に家臣たちにこの話をしたところ、
それは「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」という「後拾遺集」の兼明親王(かねあきらしんのう)の歌のことではないかと言った者がいました。
実のならない八重咲きの山吹にかけて、貧しくてお貸しする「簑がない」ということを伝えたのだということを知った道灌は、非常に感銘を受け、また自分の無学を恥じて、その後いっそう、歌道に励んだのだそう。
現代ならさしずめ、家の中から出てきたギャルに、「あ〜、ウチ、かっぱのレンタルとか〜、ちょっとやってないんで〜」と言われて終わる話ですが、室町時代のその娘さんは、非常に奥ゆかしく教養の高い方だったわけですね。
でね、道灌は、そのお嬢さんを城に招いて、歌の友としたのでした。 これがまた、道灌のすごいところだと思うのですよ。
というのも、一般的に男性は、「自分よりも頭が良かったり、多くの知識を持っている女性を敬遠する傾向にありがち」だということは、すでに研究によっても証明されているみたいなんですよね。
ある研究によると、
自分よりも頭がいい女性に実際に会うという状況に直面した男性は、そうでない女性と会う場合に比べ、「より距離を置き、あまり魅力的ではないと評価し、連絡先の交換やデートの計画にはあまり意欲を示さない」ことが分かった。
のだそうで、この研究のことは、米国の社会心理学会が発行する学術誌「パーソナリティー・アンド・ソーシャル・サイコロジー・ブルティン」に掲載されているみたいです。
その理由として研究者たちは、男らしさが脅かされることに関連があると結論づけた。
「現実に女性と対面する場合に頭のいい女性に対する関心度が低下するのは、男らしさが減退するとの不安があるためだ」としている そうです。
結局、こういうことなのだろうか。 男らしさと自分の伸びしろに自信を持てる人というのは、いちいち小さなプライドにこだわらないということなのでは。
扇谷上杉家も、道灌の才能を脅威に思わず、しっかりと評価しておけば、滅亡しなくて済んだかもしれません。
自分に自信が無くて、小さなプライドを優先し、自分に寄り添ってくれるものを蔑ろにするという行為は、ゆくゆく自分を滅ぼすことになる…ということかもしれませんね。
ところで、山吹の少女の名は紅皿といい、道灌の死後は尼となって大久保に庵を建てて、死後はその地に葬られたといいます。
そのお墓が、東新宿駅から程近い、先日ご紹介した「抜弁天」のすぐそばにあります。
お参りに行ってきました。
お隣の案内板です。
場所は、西向天神社のすぐお隣の、大聖院です。
そういえば、昔し父方の祖母が、山吹の花を見て、「山吹は、一重の花は実がなるけれど、八重の山吹は確かに実がならない」と言ったことがありました。
その時は、子供だった私は、ただ「ふ〜ん」と言って聞いていたのですが、山吹の花を見る機会があるたびに、なぜかそのことを思い出していたのです。
ずいぶん後に、それは道灌の「山吹」のことだったのだということに気づきました。
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