あの日から一年…。
あの日の津波で全校児童108人のうち、74名の児童が亡くなったり行方不明になってしまった、宮城県石巻市大川小の学校周辺や校舎内では、自衛隊による必死の不明者捜索が行なわれ、瓦礫や汚泥が取り除かれました。 そして震災から約1か月後。 お母さんらしき女性の運転する車でやってきた、可愛らしい小さな女の子が、陸上自衛隊第14旅団の隊員にお手紙を手渡すと、名前も告げず走り去って行ったのだそうです。
じえいたいさんへ。
げん気ですか。
つなみのせいで、大川小学校のわたしのおともだちがみんなしんでしまいました。 でも、じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります。
日本をたすけてください。いつもおうえんしています。
じえいたいさんありがとう。
うみより
石井3曹は込み上げるものを必死で堪えた。
「胸がいっぱいになりました……。 あの頃は、発災から1か月が経とうとしており、疲れもたまっていたのですが、あの手紙で、『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が湧いてきたのです。そして自分たちのやっていることが人々のためになっているんだ、とあらためて認識しました。」
その後、この手紙は第14旅団長・井上武陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わった。
井上旅団長は言う。
「手紙を見た時は、もう体中の血が逆流するほどの思いでした。 『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』という思いが漲ってきましたよ。 うみちゃんは、どんな思いでこの手紙を書いてくれたんだろうと思うと……」
少女が自衛隊に寄せた『日本をたすけてください』という切実な祈りに全員が奮い立った。 中には、手紙のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。同県利府町の加瀬沼公園に宿営地を設営した北海道の第1高射特科群のある中隊指揮所にも、この手紙のコピーがボードに貼り付けられた。
旅団では手紙をコピーし、多くの隊員が財布などに入れて持ち歩いている。
(4月30日 産経新聞)
震災直後、東日本大震災では10万人もの自衛官が派遣されたそうです。 救った人名は2万人にも上ると言います。 自衛官の方々にとっては、被災者の方々から送られる言葉がとても励みになったのだそうです。
あの日から一年・・・。 様々な人たちの様々な思いとともに、一年の時が過ぎたのですね。 語りたいことがあまりにたくさんありすぎて、上手く言葉にできませんが、言葉が適切であるかわからないのだけれど、私は日本人の強さと優しさを再認識した気がして、日本人であること誇りを感じさせられた一年でした。
まだまだ時間はかかるかもしれない、だってあれほどの被害を受けたのですもの。 でも、歩みはゆっくりでも、少しずつでもきっと、前に向いて進み続けているのだと確信しています。 誰もが幸せになるために生まれてきたんですもの。 悲しんでいる人がいたら、手を差し伸べて支え合って、少しでも早く笑顔を取り戻してくれるようにと助け合わなくちゃ。
日本はこれほどに強く優しさにあふれた国です。 時間はかかるかもしれないけれど、きっともっともっとたくさんの笑顔が輝くようになるはずです。 支え合って、助け合って、励まし合って、進んでいきましょう。
あやさま〜 🙁
こんな純粋な素敵な気持ちの手紙もらったら誰だってスーパーヒーローになってしまいます。 :reef: 全く非力の私でさえ、前向きになってしまいます。日本人の優しさや心遣いが世界で取り上げられてますね。そして、まだまだ仮設住宅に住まわれてる方、行方不明の方が沢山いらっしゃると聞いて愕然としてしまいました。。これからも一緒に頑張りたいです。
Aya様
そうですよね!!
前に進む為に精一杯…!
今日も頑張っていきます☆
明さま
最近、アメリカの記者の方に、「日本の絆も終わり」的なことを言われ、
とても残念で悲しい気持ちになりました。
そちらでは、あまり報道されていないとおもうのですが、
いまだ仮設住宅住まいの方は大勢いらっしゃるし、
大きな問題は瓦礫の受け入れのことです :ooo:
簡単に「助け合い、譲り合い :smile2: 」で進められる問題ではないだけに… :gaaan3
何か良い方法があればいいのですけどね~ 🙁
しのさま
よっしゃっ :smile3: ❗
ファイトだ~っ :nikoniko: :kirakira: