早いもので、11月も半分が過ぎました。
昨日は、毎月恒例の15日の神社参り。 境内の大銀杏の木も色づきはじめ、季節は冬に向かっているのだと実感します。
両親と一緒に住んでいると、年々、任されることがどんどん増えてくるものです。 最近特に、そう感じます。
新幹線の時間を調べといて
〇〇のお代金の振込みしておいて
〇〇が欲しいんだけど、ネットで注文しといてよ
〇千円くらいの予算で、手土産を〇人分適当に選んで買ってきておいて
ICカードを何処かで落としたみたい、どうしたらいい? ・・・
そんな日常の雑用やトラブル解決を頼まれることに加え、12月が近づいてくるとさらにさまざまなおつかい事が増えます。
例えば、父と母の年賀状の管理も、もうずいぶん前から私の仕事なので、この時期から届き始める喪中欠礼のはがきや住所録データの管理をしたり、両親それぞれのお付き合い先への、お歳暮の手配など…。
さらに最近は、母の通院の送り迎えや、チワワのウキワちゃんの眼科の通院など、以前よりも頻度が増えましたし、ここ数年、家族のために使う時間がだんだん増えてきました。
ところで、うきわちゃんは、白内障の症状が出始めたころから、ずっとこまめに目薬をさして、できるだけ進行を抑えられるよう家族でケアをしてきました。
でも、とうとう両目の視力を失ってしまってからは、これ以上状態を悪くしないように、一日に何度か複数の目薬の点眼を行ったり、目の状態のチェックのための通院が欠かせません。
うきわちゃんは以前のように、家の中を元気に走りまわれなくなったし、これまではスロープを使って自由に上り降りしていた父や私のベッドからも、今は自分では降りられなくなってしまいました。
それでも今までどおりカンを頼りに、自分でちゃんとトイレに行くすごい子なのですが、やっぱりここ最近、たまにトイレの失敗をしてしまうことも…。
でも、うきわちゃんにかかるエネルギーは、私は少しも手間に感じないのです。
彼女のたった1.5キロにも満たない体からは想像もつかないくらいに大きな大きな愛を、毎日、私たち家族に全身で贈り続けてくれてますから…。
ペットと一緒に暮らしている方なら、きっとこの気持ちに共感してくださる方が多いかなって気がするんですが、無償の愛を与えてくれるのは、人間側よりも、むしろこの小さな命からのほうがずっと大きいっなって思うのです。
私なんて、飼い主として頼りないことが多いと思うし、人として未熟なこと多い、こんなに不完全なヤツなのに、うきわちゃんは全て許してくれるし、私のことを否定しない。 いつも「大好きだよ」って全身で示してくれる。
こんな私のすべてを何も疑わずに認めてくれるし、こんな私に、何度でも何度でも、当たり前にチャンスをくれるんです。
ペットって、飼い主に対して本当に、ずっとずっとチャンスを与え続けてくれる、すごい存在なんですよ。
そんなうきわちゃんは、家族の中でも父のことが特別大好きで、毎晩、父と一緒に寝ています。
でも、最近、何度か父のベッドの上でうっかり粗相をしてしまったことがありました。
急いで片づけをしている私に、父がぽつりと、「こんなことがしょっちゅうあるんじゃ、これから大変だな…。」と弱音を吐きました。
「大丈夫だよ、全然大変じゃないよ~‼」
つとめて明るく私はそう言って、よし、もっと頑張らなくちゃ‼ と思ったのだけど… その時、ふと気づいたのです。
そっか、家族なんだもん。 別に弱音を吐いていいし、弱音がはけるから家族なんだ…と。
私は母から、「どうせやるなら文句を言わず、気持ちよく進んで物事を行いなさい。」と小さなころから言われて育ちました。
本当にその通りだと思うので、私は小さなころから、そんな人間であろうと一生懸命に頑張ってきました。
だけどね、何かちょっとしたときにふと弱音を吐いたり、「大変だ…」と愚痴をこぼすと、必ず「黙ってやるから、やるのが当たり前だと思われてるのよ」とか、「嫌ならやらなきゃいいのよ」と言われるわけですよ。
「そういわれても…。」と、余計辛い気持ちになりながら、それでも我慢して頑張ってきたのだけど、なにも別に喜んでやってるわけでも、進んでやってるわけでもなく、やらなくちゃいけないから黙って頑張ってるだけなのに
なんだかそれが裏目に出ているような、頑張り損のような気がしてきました。 今更かい、遅いがなっ‼ って気もしますが(苦笑)
喜んでやっていたり、好きでやっているわけでないことなら、そのことをもっと素直にアピールしてもいいのかも?と思うと、最近、ちょっとだけ気が楽になりました。
「やってあげてるんだよ」ってことは、そこそこアピールしないと、周りの人って「好きでやってるんだかから、やらしてあげといたらいいのよ」的な、傲慢な気持ちで見守る立場になってしまうような気がします。
人の苦労に対して、その手間や大変さが想像できなけば、感謝の気持ちやリスペクトの気持ちはとてもわかないものです。
社会においては、またちょっと状況が違うかもしれませんが、少なくとも家族や、身内に対しては、少々の弱音はむしろ、吐いてもいいのではないのか。
それを受け止める側が、「だったらその分を、こっちが頑張るよ‼」と、負荷を請け負ってくれること。
それが家族の役割なんじゃないのか…。そう思うと、なんだ、それでいいんじゃないのって気がしてきました。
弱音って、はかなければ相手もカバーしようがないものかもしれません。
「大変だ」と感じるのは、自分の能力に対して大変なことを頑張っているわけだから、自分が一番わかるのです。 だから、せめて家族には、そのことをちゃんと伝えないと。
最近思います。 愛情って、相手を見守る力と、何度でも何度でもチャンスを与えられるということなのかも。
今日もご覧くださり、本当にありがとうございます。
このバナーをポチっとクリックして応援してくださいね‼
「人気ブログランキング」・「天然石・パワーストーン ブログランキング」に参加しています! このボタンをクリックしてくださるあなたの優しさが、ブログをささえてくれます♡
◆スマートフォンチャット占い鑑定士 【uRala(ウラーラ)】( iPhone ・ Android )